長年ネットをしていて、クソみたいな情報を踏んでしまうと、そのたびに「もうネットから離れたほうが良いのでは?」という気分になるのですが、実際はなかなか難しいものです。
同人をしていた頃の私は、好きなジャンルの公式情報をチェックしたり、交流相手や大手の神作家さんの新作をチェックしたり、今誰がヲチられているかと匿名掲示板をチェックしたり、ジャンルの内外でどんな騒動が起こっているかをチェックするため、長時間ネットに張り付いていました。
それと同時に、わりとハイペースで自分の二次創作を作り、SNSに小ネタを投下し、感想が来たらすぐに返信して盛り上がり、寝る時間も新たな妄想に大忙しで睡眠どころではありませんでした。
ネットが無かった時代も忙しかったけど、ネットが登場してからはさらに忙しくなりました。
同人を引退した現在はそんな元気は無くなりましたし、特定のジャンルの出来事や二次創作を必死にチェックする必要も無くなりました。でも、引退後に始めたこのブログを続けるためには、ネット上の情報にまったく無関心になるわけにもいかないのかなと感じています。
情報過多によるストレスで苦しんだ経験がある私は、何だかんだでデジタルデトックスに興味を持っているので、一両日ほど(短っ!)無駄なネットサーフィンを我慢してみたこともあります。
そうすると確かに、無駄なストレスの元に触れなくなることによって、心がスッキリとします。
世間でどんなに酷いことが起こっていても、見ていなくて知らなければ、私の中では存在しない出来事になります。ネットに興味が無い人の心はいつもこんなに清らかなのかと感動しました。
でもそうなると、何かに物申したいと思う気持ちや、何かを人に伝えたいと思う気持ちが湧きおこらなくなって、つまりブログに書こうと思うことが無くなってしまうのです。
私が何かを発信したくなるためには、ネット上で誰かが「同人活動で嫌な奴と出会った!」などと愚痴っているのを見ることで「そう言えば私が現役の頃にも嫌な奴がいた!」と記憶がよみがえってネタを思いつくという、そんなプロセスが必要みたいです。クソみたいな炎上ニュースやオタク界隈での悪口など、本当なら見ないほうが賢いはずのものが、私の発信の燃料になるようです。
純粋に何かを楽しむ気持ちだけで発信することが、なぜ私にはできないのでしょうか?
二次創作は楽しんで作っていましたが、発表する段階になると他意もあったように思います。
汚い燃料を用いて汚い内容を発信する私のスタイル、いつか変わる時が来るといいですね。
ただ、ネットニュースを漁ると言っても、結局見ているのは私が興味ある分野だけです。
実写の芸能人のニュースなどは心から興味が無くて、そもそも当事者の芸能人の顔や名前を私はほとんど知りませんので、経緯も事情も分からない知らん人の炎上には何の感想も出てきません。
なので、あらゆる分野の炎上ニュースを取り扱っている人のことは、本当にすごいと思います。
多趣味なのか、自分が興味無い分野のことも勉強できるのか、結構真面目に尊敬します。
コメント
私もここしばらくツイッターを開く回数が減りまして、そうしたら二次創作界隈からの刺激を受けないせいか、自分でも二次を描きたい、投稿したいという気持ちが薄れてきてしまったのでなんだか親近感がわく内容でした。
他者を意識しなくなるのでストレスフリーになる反面、その他者に何かを伝えたいという衝動も減るのかもしれませんね。
>くまさん
結局、アウトプットをするためにはインプットが必要で、他人に何かを伝えたい気持ちを持つためには、外部からの刺激が必要ということになってしまうのでしょうかね。
発信する意欲とストレスフリーが両立しているのが理想の状態ですが、それができる人は実は少ないのかもしれません。せっかくリアル生活が平和なのに、もしネットで下手を打ったらバカみたいという守りの考えによって、記事をボツにする時もあります。
私の理想のネットの使い方に辿り着くには、まだまだ長い年月がかかりそうです。
こんにちは。
以前コメントさせて頂きましたミサキと申します。
私もブログを書いてますので、ネット断捨離すると、ブログに書くネタがなくなることにはとても共感します。
ブログは自分のペースでまったり書いていますが、もっとアクセスを集めたければトレンドに乗ることも必要なので、そのためにはネットに張りついていなければならないのかも?とも思いました。
しかし、デジタルデトックスを定期的にやりたいと考えている私にとっては難しいです。
ネット断捨離と、ネットでのネタ集めの上手いバランスが見つけられず、いつももがいています(笑)
>ミサキさん
こんにちは。私はアクセス数などは気にならないのですが、記事の更新があまりに遅くなると自分の中で焦ってきて、ネタを思いつくために敢えて治安の悪い場所に突撃してしまうこともあります。そもそも「定期的に更新しよう」という考えを捨てるべきではないか?記事をいつ書こうが私の勝手だと、そう切り替えるべきなのかもと最近は考えています。
発信する意欲を持つことと、自分のストレスを無くすことのバランスは難しいですね。
本当に何のストレスも不満も無くなったら、わざわざ言うことが無くなりますので。
一方で、もともと外の情報に興味が無い状態で自分の発信を続けられる人も、ごく稀に見かけます。そういう人は尊敬すると同時に自分とは違う生き物のように感じてしまいますが、私が目指す理想の形なので、なんとか自分もそうなりたいと望んでいます。