ネットで発信する時の心構えは、アクセス数によって変わる?

ネットで何かを発信している人は、基本的には「アクセス数が増えたらいいな」と思って発信していることが多いと思います。ですがその一方で、本当にアクセス数が増えてきたら、発言に気を付けなければいけない感じがしてくるという大変さもあります。

ブログなどを始めたばかりで、まだアクセス数が少ない間は「どうせ見られていないのだから、なんか不謹慎なこととか書いてもいいのでは?」とハジけそうになることもあるかもしれません。
まさに「誰もいない…踊るなら今のうち(・∀・)」というヤツです。

でも実際は、たとえ見ている人が少なくても、ネットに上げているのなら、不用意なことは書かないほうがいいと思います。SNSの身内だけの鍵垢やフォロワーゼロの裏垢でも、それがネット上にあるのなら、誰が見ているか分からないと考えたほうがいいです。

よく「裏垢がバレて炎上した!なんで流出したの?」みたいな話がありますが、こういうのは「そもそもそんなことをネットに書くな」としか言いようがない内容ばかりです。たとえ見ている人が一人だけでも、その一人に悪印象を持たれて拡散されたら終わりなのだと理解してほしいです。

ところで、私は「裏垢」という概念をどうしても理解できません。
ネットに上げている時点で、もう裏でも何でもないです。特定しようと思えばできます。
そんなにヤバイ内容なら、ネットではなく紙のノートに書いておけとツッコミたいです。

私の「裏垢」は、私の心の中にあります。ただ、歳を取るにつれて、いろいろな感情が薄まってきているので、そもそも今の私には「裏の発言」なんてあまり無いかもしれません。
今の私は、ネットでもリアルでも、普通に表で自分の言いたいことを言っています。

あと、今の私は、自分のブログとnote以外の場所に一切書き込みをしていません。
若い頃はもっと活動的だったのにと、こんなところでも衰えを痛感しています。
でも逆に考えれば、それで充分満たされているとも言えるので、有難いと思うべきでしょう。

アクセス数に関わらず、黒歴史な投稿を生み出さないように気を付けたいところですが、それでも解析で数字が分かってしまっていると、気が緩むこともあります。
他の発信者さん達は、これについてどう考えているのか、たまに気になります。

まあ、新たな黒歴史を作ってしまっても、それはそれで新たな経験値になるので、実はそんなに悪いことでもないと考えることもできます。私もついに「何も考えずに黒歴史を作る→黒歴史を作らないように気を付ける→黒歴史も勉強になるかも」という段階に入ったみたいです(狂気)

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コメント

  1. 中年の冒険 より:

    こんにちは。
    アクセス数と関係ないかもしれませんが、心構えの違いについて考えたことです。

    ツイッター(現エックス)を知った時、目の前で電車を逃した悔しさをその場で呟ける!と思いました。家族や友達に会うまで我慢せず、思ったことをすぐ吐き出せたらラクだろうなぁと。

    その前にミクシィで「未知の出会いを求めて何も考えずに参加し、最初は楽しく最後に疲れてやめた」経験をしていました。SNSからしばらく離れていたかったので、ツイッターに手を出さないままオタ活へ突入しました。こちらのブログを知ってツイッターをしないと決めたのは、他のコメントの通りです。

    ミクシィで知り合った人とは、今でも年数回のマイナーな舞台鑑賞と食事を一緒に楽しんでいます。ツイッターでも1人くらいは気の合う人が見つかったかも…無い物ねだりですね。オタ活を卒業しており、趣味の繋がりがないから難しそうです。

    何より家族や友達なら気を遣って言わないことを、ツイッターでなら吐き出せると考えたことが問題です。ある程度まとまった文章を作ろうとしたミクシィとは、心構えが大きく違います。最初から「こんなことをネットに書くな」のクソ思考全開の証拠、間違いなく黒歴史になっていたでしょう。

    狂気に便乗すると、黒歴史もまた経験。同じ失敗を避けて行動範囲が狭くなり、気力が奪われていく。余力がなくなって気が緩み、やらかして新たな黒歴史を作る未来を想像しました。そのうち同じ失敗をしても気づかなさそうです。書きながら、これが認知症か?となりました。

  2. ヒロコ1号 より:

    >中年の冒険さん
    こんにちは。私は日常生活のことをネットに書きたいとは思わないので、電車を逃した時とか地震が来た時とかにネットで呟く人の気持ちがまったく理解できません。他人に見せても無意味な情報である上に、悪い人に見られたら個人情報を特定される可能性もあります。
    でもツイッターというのは、そういう心構えを崩壊させるツールなんですよね。

    ミクシィのほうは、当時あった招待制や足あと機能(今はもう無いと聞きましたが)の内容を知って、手を出すのをやめました。利用者の行動を縛るような機能は好きではないし、そんなことをしなくても個人サイト経由で仲の良い人はできました。
    今思えば、それなのにツイッターには手を出してしまったのが自分でも謎です。

    だけど、今でも会うような知り合いがいるのは少し羨ましいです。
    同人活動の場合、ジャンルが変われば縁が切れることがほとんどなので、何を使っていようと萌えが変わればお別れです。特に私は引退してしまったので、当時交流していた人達と今会っても話せることはありません。あの時だけの思い出を大切にすることしかできません。

    黒歴史は、やってしまった時は乗り越えるのが大変ですが、その経験のおかげで同じ失敗はしなくなって、自分がより成熟する、というのが今の私の考えです。
    ネット活動の能力がレベルアップすると同時に、失敗も糧になるから必要以上に恐れないという余裕もあるので、ビクビクして行動範囲が狭まるのとは真逆の現象です。