同人活動の思い出/小説サークルの本の表紙について

私はネット上でSSを書いたことはありますが、小説本を作ったことは一度もありませんでした。
でも、過去に交流していた人達の中には、小説サークルの人も数多くいました。

漫画本の表紙は自分の絵を描けばいいだけですが、小説本の表紙は、絵師さんに頼むにしても自分でデザインするにしても手間がかかりそうだなと思っていました。

仲がいい絵師さんがいる人は毎回その人に表紙を描いてもらっていて、周囲にも「このサークルの本の表紙はこの絵師さん」みたいなイメージが定着していました。
自分の小説の雰囲気に合う絵を描ける人と出会えれば幸運という感じです。

その一方で、絵に頼らないデザイン表紙の小説サークルもありました。
紙の種類やフォントの選び方のセンスが良く、特殊加工なども効果的に使っていて、そういう装丁が美しいサークルは中身の文章もだいたい上手いので、絵が無い表紙でも売れていました。

たまに「小説は漫画と比べて需要が無い」と言う字書きさんがいますが、現役時代に売れている小説サークルさんとも交流していた私としては「小説だから注目してもらえない」なんてことは絶対に無いと思います。小説のほうが強いジャンルもありますし、文章力と萌えを見事に同居させている字書きさんは、感想もたくさんもらっていて人気でした。

でも本の表紙については、漫画サークルとは違う苦労があるだろうなと勝手にいろいろ思っていたのですが、とあるジャンルでは少し複雑な心境になったことがあります。

同カプ内に、他人の小説本の表紙をよく描いてくれる大手絵師さんがいたのですが、少しでも交流がある人には表紙を描いていたため、同カプの小説サークルの半分以上の表紙がその大手絵師さんの絵という状態になっていました。本を買う側は当然混乱して、大手絵師さんの本だと思って手に取ったら中身は小説で「えっ、中身は違うの?」という感じで戻していた人を何度か見ました。

私は「わかる…でもこれ誰も悪くないよね」と黙って見守ることしかできませんでした。
字書きさんは大手さんの絵を表紙にしたくて、大手さんも快く引き受けただけなのですから。

そして「誰も悪くないけどこれはちょっと」なことと言えば、絵が上手くない字書きさんが自分で小説本の表紙の絵を描くことも、それに当てはまるかもしれません。
私が人の画力をどうこう言える立場ではないのは分かっていますが、それでも、小説は面白いのに表紙のせいで手に取ってもらえないのは、勿体無いと感じていました。

でも今考えると、本人が楽しんで作っていてそれで良しとしていたのなら、同人活動としてこれほど正しい形も無いかもしれません。絵を描くのも好きという字書きさんもいますし、商業作品と違ってそういう体裁を気にせずに自分の好きなようにできるのが同人誌というものです。

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