同人活動の思い出/感想を受け取る手段について

創作をしている側の人達は、見ている側の人達が感想を送ったり「いいね」的な反応ができるようなツールを、いろいろと用意していると思います。

大昔の個人サイトでは、感想は掲示板に書き込んでもらっていましたが、拍手が登場すると掲示板は廃れていきました。今はマシュマロや波箱などが使われているらしい(実態は知らない)けど、あれも拍手と同じで気軽に送ることができて使いやすいから広まったと考えられます。

私が現役で活動していた頃は、交流が好きな人は気軽に使えるツールを複数用意して愛想良くしていましたし、交流が苦手な人は緊急時の連絡先だけを用意しているという感じでした。

私自身は、掲示板が廃れてからは拍手とメールフォームを置いて、返信不要のもの以外はすべて返信していました。信じ難いかもしれませんが、昔の私は今よりもずっと愛想が良かったです。
昔の私が今の私を見たら「どうしたの?心が死んだの?」と図星を突いてくると思います。

今の私の旧サイト(倉庫)と新サイト(今描いているオリジナルイラスト置き場)は、どちらもメールフォームどころかメールアドレスしか連絡先がありません。用があるなら送信側のアドレスも晒して直接送ってこいという仕様です。今の私がそういう気分なのでそうしています。

更新停止している旧サイトはともかく、新サイトは一応動いているのに、日記無し、拍手的なツールも無し、連絡先はメールアドレスのみで、まさに昔の私が「この人は交流したくないのかな」と遠巻きにしていたサイトのようです。未来の自分がこんなことになるとは思いませんでした。

ですが、それでもメールで感想が来たり、サイトをリンクしてもらえることがあって、それはとても嬉しいです。交流を断ち切ってから一番驚いていることがコレです。むしろ、愛想良くしていた昔よりも感想を送りにくい空気なのに送ってくれたことが、より一層有難いと感じます。

昔の私は、連絡先がメールアドレスのみのサイトに感想を送る勇気がありませんでした。
そしてそれは他の人達も同じだと思っていましたが、実際は、無愛想にしていても気にせず送ってくれる人もいて、管理人側の私も、感想が来たら来たで嬉しいものだと気付きました。

今となっては後の祭りですが、感想不要と明記されていないのなら、連絡先がメールアドレスしか無くても、感想を送っても良かったのかもしれませんね。

私の個人サイトは、もっと愛想良くすれば昔と同じくらいの反応が来るかもしれませんが、それはもういいやという感じです。私のそういう時期は、もう終わりましたので。

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コメント

  1. 引退した者です より:

    こんばんは。掲示板やウェブ拍手、懐かしいです。掲示板は自分のイラストをアイコンにしたり、拍手には「お礼絵」がありましたよね。交流用のツールであるのと同時に、自分仕様にカスタマイズするのも楽しかったです。

    私も引退前の数年間は、交流の手段をどんどん縮小していたので、感想は送りにくい雰囲気だったと思います。「交流したくない人」に見えるだろうなと自覚はありましたが、コメントを送るハードルを上げることで、悪意ある人との接触を減らしたい気持ちの方が強かったです。

    引退して3年半も経って気付いたのですが、私は元来、交流向きではない性格でした。子どもの頃は一人でお絵描きに没頭することが好きで、群れることが苦手、周りから注目されるのは負担になるタイプでした。
    その私が約20年も同人活動して交流もしていたなんて驚きですが…若くて元気なうちは、自分のキャラと違うことでも頑張れたんですよね。

    今ではすっかり「発信しない生活」に慣れ、これはむしろ本来の自分の姿に戻ったのでは…と思っています。
    ですが中年やシニアの皆様の動画やブログは見たいので、年齢を重ねても意欲のある方は、ぜひご自分のペースで発信を続けてほしいです。

  2. ヒロコ1号 より:

    >引退した者ですさん
    こんばんは。拍手のお礼絵は私もいろいろと用意していました。とても懐かしいです。
    私の場合は、おそらく「本来は交流好きだった」というのは間違いないと思うのです。
    子供の頃も、ひとりでお絵描きに没頭する時間は当然必要でしたが、完成したものを褒めてもらったり、勉強で注目されるのも好きでした。小学生の頃は学級委員もやっていました。

    同人活動も、同ジャンル同カプで語り合える仲間が欲しくて、交流のために始めたようなものでした。でもツイッターのせいで壁打ちになりました。ツイッターが無かった頃は、嫌なことがあっても交流自体を嫌いになることは無かったのに、本当に恨んでいます。

    私は、現役の間は、ツイッターをやめた後も連絡ツールの類はそのままにしていました。
    自分から他の人に話しかけることはもう無いけど、向こうから話しかけてくれるのまで拒否する必要は無いと考えていました。ただ、自分から話しかけないのなら、話しかけてくれる人もどうせいないだろうと思っていたら、そうはならなかったので驚いています。

    今の私の発信内容は、創作活動でもなく、ノウハウの提供でもなく、正直何をしているか分からない感じです。昔の私が「この人は何がしたいんだろう?これ意味ある?」と不審に思っていた存在に、今の私がなってしまっているのが切ないです。
    それでもまだ話しかけてくれる人がいるのだから、人生は驚きの連続ですね。