これは大昔から言われていることですが、ヘタレ絵の特徴のひとつとして「手をきちんと描くことから逃げている」というものがあります。人物が手を後ろにまわして隠していたり、ポケットに入れて隠していたり、手が見えない構図にして隠していたり…そんな絵を描いているとヘタレ認定されるというのは、私が子供の頃から千回以上は聞かされている話です。
いや、上手い人でも「手が隠れている絵」を描いても別にいいだろ!
それしか描けないんじゃなくて、手が隠れるポーズがいいと思って描く場合は別にいいだろ!
上手い人は絶対に手をきちんと描いて見せつけないといけないのなら、それはそれで何かに縛られている感じがして面白いけど、まあ画力を判定する指標のひとつにはなるのかもしれません。
昔、絵が上手い友達に他の人が「どんな練習をしたらいい?」とたずねたところ「自分の手を毎日見てデッサンして」と言われて、絶望的にクソつまんなそうな表情でやり始めたことがあります。
絵が上手い友達は「手の形を完全に捉えられるようになるまで続けて」と言ったけど、言われたほうは二回ほど描いてギブアップしました。これは、私がやっても同じ結果になったと思います。
華やかなオタクイラストにしか興味が無い人にそんなことをやらせても普通は続かないし、実際続けられなかったけど、本当に上手くなるための練習とはそういうものなので、あまり軽々しく「上手くなるために練習します!」なんてことは言わないほうがいいと個人的には思います。
ていうか、本当に上手くなる人は、黙って勝手に上手くなっていくパターンが多いです。
それにしても、過去を振り返っても、上手い人は「手」を重視することが多かったです。
中には、人物の顔よりも手の描写のほうに気合が入っている人もいました。
物の形を捉える練習をする時に、いつでも見られる自分の手が最も身近な練習材料というのもあるでしょうし、純粋に手フェチな人もいるだろうなと思います。
私の場合、手は手でしかなくて、必要なら描くけど(正確に描けているかは知らん)特別な思い入れはありません。じゃあ顔は気合を入れているかと言うと、顔も別にそこまで…という感じです。
昔からずっと、特定の部位に執着したことが無くて、絵の全体に平等に力を入れたり抜いたりしています。いわゆる「癖(ヘキ)」が感じられないと言われたこともあります。
結局、上手い人でも「手が隠れている絵」を描いてもいいけど、手を積極的に描いて「手をきちんと描けるんですよアピール」をしたほうが、画力を分かってもらえて良いのかもしれません。
まあ、手をきちんと描ける人は実際すごいからな…と、また引退してヒマになったせいで、同人をしていた頃はあまり意識していなかったことを考えてしまいました。
コメント
以前イベントで出張編集部さんに自分の漫画を見て頂いた時に「手に魅力がないからもっとちゃんと描きましょう」と言われたことを思い出しました。
私は手よりも腕の筋の方が好きなので、その指摘に納得しながらも今だに腕の筋に力を入れて描いてしまっていますが…。
最近はハンドモデルや手を描くための3Dモデルアプリがあるのでそういったものを駆使すれば上手くなるのでしょうが、それを考慮しても手って難しい部位だよなぁ…と思います。
生成AIで描かれた一見上手なイラストでも手がおかしかったり手を隠してたりするので、手を上手に描けるのが画力の証明という論には結構納得します。
>ゴンザレスさん
手の魅力は、やはり必要なものなのですね。絵描きさんそれぞれに好きな部位があって、絵を見ればそこに力を入れているのも伝わってきますが、私の絵はそういうのが無いので、手とか身体の部位の話になっても蚊帳の外でした。手を描くのは難しいと言う人が多いけど、難しいけど楽しいと言う人もいて、そういう人は尊敬してしまいます。
生成AIの絵は、手が崩れているものをよく見かけますが、それは学習元になっている人間の絵のほうも手をしっかり描けている絵が少ないからかなと、勝手に思っていました。
でもAIの崩れ方は、人間が画力不足で描けていないのとはまた違うおかしさなので、どうしてああいう崩れ方をするのか不思議に思っています。