自分が書いたものを完読してもらうことの有難さについて

若い頃の私は、漫画でも小説でも記事でも、自分が一度読み始めたものは最後まできちんと読むタイプでした。一度見始めた作品は必ず最終回まで追っていて、気に入らない展開になっても、最後まで見れば評価が変わるかもと考えて、途中で見るのをやめたりはしませんでした。

同人をしていた頃も、読み始めた作品はどれだけ読みにくくても長くても完読して、作者が知り合いなら感想を送っていました。マメだったのではなくて、情熱があったのです。
同人活動や交流に対して熱心になるあまり、自分が本当は活字が苦手なことにも気付いていなかったという、ヤバすぎるトランス状態が二十年以上続いていたことになります。

その反動で、今の私は、少しでも面倒だと感じたら漫画も文章も読めなくなりました。
加齢や同人引退による気力の減退、交流のしがらみが無くなったなどの理由が考えられますが、自分が一度読み始めたものを途中で投げ出すという経験を初めてした時は、非常に戸惑いました。
最初はそんな自分に違和感がありましたが、何度も経験するうちに慣れてきました。

冷静に考えれば、つまらないなら途中で読むのをやめるのは普通のことです。昔の私はかなり変だったなと気付きましたし、私もこれまで多くのものをネットで発信してきたけど、それを家族でも友達でもない人が最後まで読んでくれるって物凄いことだったんだなとも気付きました。

私は同人をしていた頃、漫画も文章も両方書いていて、ちゃんと内容に沿った感想をくれる人達もいたので、当時はそんなことは考えたこともありませんでした。でも今振り返れば、私の作品を最後まで読まなかった人もいたでしょうし、読んでいないのに「良かったです!」と言っていた人もいたかもしれないと思うとフフッ(・∀・)となります。

当時の私がそれを知ったら怒っていたと思いますが、今の私なら「まあそれも処世術だから」と許容できます。そこまでして私に擦り寄るメリットがあるかは不明ですが。

自分が歳を取って、他人の文面を見て「無理」と感じて読み進められなかったり、内容が合わなくて最後まで読めなかったという経験を初めてした時に「最後まで読んでもらえること」の有難さに気付くことができました。このブログの記事も、読めずにリタイアする人もいると思いますが、だからこそ完読してくれる人には感謝しなければいけません。

ところで、漫画や文章だと、閲覧数の数字が増えても、本当は途中でリタイアされて全部読まれていなかった場合は「見てもらえた」とは言えません。
でもイラスト一枚なら、閲覧された時間が一瞬でも「見てもらえた」とカウントできるので、これは信用できる数字かもしれないと、イラストの利点にも気付くことができました。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. うさぎ より:

    こんばんは、自分の作った物を最後まで見て貰えることのありがたさは、最近私も感じるようになったところだったので、とても共感します。
    お金や手間をかけないと創作物に触れることが難しかった昔とは違い、最近はプロの方の漫画でさえアプリで全巻無料で読めたり、AIで神絵が一瞬で生み出されたり、供給に対して消費が追いつかないような時代です。そんな中で素人作品に一瞬でも目を向けてもらえる、しかも完読してもらえるってなかなかすごいことですよね。

    私はヒロコさんとはちょっと違うかもしれませんが、大人になって仕事などやらないといけないことで時間をとられたり、自分の人生の残り時間を考えたりするようになってから、自分に合わないなと思うものは即切りするようになってしまいました。しかもその割合は年々高くなっています。

    そんな中で自分なんかの作品に人生の時間を少しでも割いてもらえるということは奇跡のように感じて、昔は気にしていた評価の数などもあまり気にならない次元にきつつあります。なんだかそういうことを考えるのも烏滸がましい気がして。昔は自分の作品が人にどう思われるかで頭がいっぱいで苦しかったのに、大人になるのも悪くはないなーと思っているところでした。

    イラストの一瞬で見て伝わる、人の時間を奪わずに何かを伝える凄さについても最近よく実感します。漫画も小説も、なんでもいえることですが、伝えたいことの濃度を薄めずに短くできるのであればそれに越したことはないですね。昔は冗長であっても推しの絵やエピソードなどは少しでも多く見たいと思っていたのに少し寂しくはありますが。

    内容とは少し逸れますが、ひとつ前のブログ記事に掲載されていたイラストと、最近投稿されていた砂漠の鳥のイラストすごく好きです。シンプルな線や塗りにたくさんの情報量、世界観が込められたイラストで素敵だなと思ってました。noteのコメント欄で言えればいいのですがアカウントを持ってないのでこちらからすみません。

  2. ヒロコ1号 より:

    >うさぎさん
    こんばんは。私が学生だった頃は、本を買わないと漫画や小説は読めませんでしたし、映画も映画館に行かないと見られませんでした。お金を出してみて「ハズレ」だと分かっても、見るためにお金も手間もかかっているので、勿体無いから我慢して最後まで見ようみたいな考えがありました。で、そういうのもまた、自分のインプットのひとつになっていました。

    歳を取って疲れてきたり、人生の残り時間を考えるようになると、確かに合わないものに付き合っているヒマはありませんね。そういう意味でも若い頃は元気だったなと感心します。
    そして、自分がこんな状態なのに他人には評価を要求するなんてとてもできないという考えになり、評価が気にならなくなってきます。

    若い頃の私は、漫画や小説などのストーリーのあるもののほうが、一枚イラストより上という考えを持っていました。だから、引退して「お話」を作れなくなった時はとてもつらかったのですが、イラストは見る人の時間をほぼ奪わないということに気付いた途端、手の平を返しました。引退して集中力がボロボロにならなければ、このことには気付けませんでした。

    イラストの感想もありがとうございます。オリジナルイラストを何枚か描いてみて思い出しましたが、私は鳥と魚が好きみたいです。noteは、このブログに絶対に不具合が起きないのなら正直不要なのですが、万が一の時の避難先もいるかな…という感じで試験的に作ったアカウントですので、私の気分次第で消したり別の場所に変える可能性もあります。

    なので、イラストの感想は好きな所に書いていただいて大丈夫です。

  3. 引退した者です より:

    こんにちは。今回の記事を読んで、色々なことを思い出したり、気付いたりしました。
    私が若いころ好きだった1980年代~90年代のアニメは、1年間で約50話、長い作品では100話以上ありましたが、最後まで見ていました。それだけ長いと、最初は微妙でも後から面白くなることも実際ありました。
    そして好きなキャラやカプの二次創作なら、どんなに読みにくくても隅々まで読んでいました。それは義理というよりは、好きなキャラの供給が嬉しかったからです。
    スマホもSNSもなかった頃は情報量が限られていたので、常に飢えていたのかもしれませんが、それにしてもすごい集中力とエネルギーだったと思います。

    引退した今はYouTubeを見るのが、娯楽といえば娯楽かなという感じですが、動画を最後まで見ないなんてしょっちゅうです。チャンネル登録しても毎回は見ないし、興味が薄れたらすぐに登録解除です。
    ずいぶん薄情で移り気になったなーと思いますが、情報量が多いので取捨選択しないと時間が足りません。YouTuberに義理があるわけでもないし、加齢で体力や集中力が低下しているのに、漫然と見ていたら疲れてしまいます。省エネに生きつつ、必要なものだけ見たいのです。

    そんな自分を思ったら、他人が自分に費やしてくれる時間は、それだけでありがたいのだと確かに思えました。自分が加齢で省エネにならなければ、気付けなかったことですね。
    現役時代は「私のつたない作品を読んでくれてありがとう」だったのですが、それは「あなたの貴重な時間とエネルギーをありがとう」でもあったんですね。今になって新たな感謝が湧いてきました。

    YouTuberで「推しは推せる時に推せって言うでしょ?今すぐ私を推さないと、いつ辞めるかわからないよ?」という人を時折見かけます。私はその価値観は苦手だと思っていました。推す側が言うのは構わないのですが、推される側が言うと一気に興ざめします。
    それは「あなたの貴重な時間とエネルギーをありがとう」と真逆のことを言っているからだと気付きました。他人の時間や生き方に対する配慮がない、感謝もないと感じるから、ガッカリするんですね。
    いつも長文コメントですみません。(推敲はしてるんですが、なかなか短くなりません…)完読して返信を書いてくださるヒロコさんにも感謝です\(^o^)/

  4. ヒロコ1号 より:

    >引退した者ですさん
    こんにちは。そうですよね、昔のアニメは年単位で放送が続くのが普通でしたが、それでも一度見始めたものは最終回まで見届けていました。好きなジャンルの二次創作も、義理で全部読んでいたわけではなくて、供給そのものへの感謝の気持ちがありました。
    マイナージャンルはもちろんのこと、メジャージャンルでもそういう感覚がありました。

    オタクが迫害されていた時代に、自分と同じ趣味の人に出会えたこと自体が有難い、自分以外の人が作った二次創作が読めること自体が有難い、そんな感じで常に飢えていました。
    若くて元気で、さらに飢餓感もあったから、ものすごい集中力を発揮していました。

    YouTubeは、最初のうちは再生した動画を律儀に最後まで見ていましたが、最近は難しくなってきました。私の場合、引退後はブレインフォグのような症状もあって、昔と比べてさらに頭が悪くなって文章力も低下しています。それでも読んでくれる人には本当に感謝です。

    他人から推されないと活動を続けられないような人は、もうやめたらいいと思います。
    本当に大物な人はそんな発言はしない気もするのですが、今の若者の考えることは分からないからなあ…同人の世界も「そんなつまらん動機(いいねが欲しいとか)で始めたの?」と言いたくなるような人が安易に参入する時代が来てからは、正直魅力を感じなくなりました。

    私のコメント返信は、元気だった頃に比べれば、やはりいろいろと鈍っています。
    不手際がありましたら申し訳ありません。

  5. ぱすも より:

    ヒロコさんこんにちは。コメント欄を含めてブログの記事を楽しく読んでいます。
    人生の残り時間を考えると合わないものに付き合ってる暇はない、
    自分の人生の時間を少しでも割いてもらえるのはすごい、「拙い作品を読んでくれてありがとう」は「あなたの貴重な時間とエネルギーをありがとう」でもある……普段考えたことがなかったです。
    それって確かにありがたいことだな?もっと丁寧に推しカプを書いた方がいいな、と思えました。
    当方は20代の字書き(イラストも描く)なのですが、私と同じ年のときはヒロコさんも同人活動をやっていましたよね。現役時代のヒロコさんについて、ブログを読むことで思いを馳せたりしています( ˘ω˘ )

  6. ヒロコ1号 より:

    >ぱすもさん
    こんにちは。読んでくださってありがとうございます。
    私が20代だった頃と今では、同人活動のやり方もいろいろと変わっていますが、オタクの心意気そのものは昔も今も変わらないといいなと思っています。今の私は、恥ずかしながら、流行ジャンルどころか今どんな作品が存在しているのかも把握しきれていない状態です。

    若い頃は「つまらなくても一応最後まで読んでみる」とか「疲れていても頑張って読む」ということができましたが、年老いてくると無理ができなくなりました。
    そのおかげで、読んでくれる人の有難さを理解できたことは良かったけど、一方で自分の衰えぶりが情けないとも感じるので、一長一短かもしれません。