私は同人を始めてから引退するまでの二十三年間、ほぼ中断すること無く活動を続けました。
でも中には、事情があって一旦同人から離れたけど数年後に再び戻ってくる人もいます。
昔ハマっていた作品に再燃して同人を再開したり、新しい作品にハマって出戻ってくるのは、別に珍しいことではありません。ただ、ブランクが五年以上あると、同人界隈の空気の変化(暗黙のマナーが変化していたり、新しいツールが登場していたり)に戸惑う人や、ネットリテラシーが怪しい人も多かったです。でも、そこはジャンル愛で乗り切るという感じでした。
出戻りが珍しいことではないのなら、私も同人に復帰する可能性があるのでは?と思われる人もいるかもしれません。でも私の場合は冷めた経緯を考えると、復帰は絶望的だと思います。
単に「今ハマれるものが無い」というだけなら、何かにハマれば戻ることができます。
でも私は、ツイッターのせいで、商業作品の関係者にも幻滅することがたくさんありました。
同人で好きだった人達も、ツイッターを使うと言動がおかしくなってしまいましたが、プロのクリエイターの人達もそれは同じでした。自分が毒されていることに気付いていないのでしょうか?
SNSが無かった時代は、裏で何があろうとファンは知らずに済んでいたことが多かったです。
ツイッターで、公式の中の人達の残念な炎上を見てしまうと、商業作品自体への興味が失せていきました。私は二次創作者でしたので、元ネタになる商業作品にハマれなくなればもう終わりです。
最近の流行りの作品も、見ればきっと面白いはずです。魅力的なキャラもいるはずです。
でも今は「上手くいっているように見える作品も、そのうち誰かが失言をして台無しにするんじゃないか」という疑念が先行して、作品そのものよりも関係者の不祥事のほうが気になります。
作品を面白いと思っても、二次創作をするほどの盲目的なハマり方ができるかは別の話です。
今の私は、面白いと思える作品を見たとしても、一度だけ見たらそれで終わりです。
心にブレーキがかかっていて、我を忘れて夢中になることはもうできないみたいです。
公式グッズも買わないので、お金も使いません。私はもう、公式から見ても客ではないのです。
私のオタク魂はかなり年季の入ったものだったので、ツイッターから冷や水をかけられ続けてもそう簡単には冷めませんでした。でも、それが何年もずっと続くと、ついに魔法が解ける時が来てしまいました。私の場合は「好きな作品ができたらまた同人を」とか、そういう話ではないのです。
それは仕方がないことなので、私は今の私を受け入れますが、一方で、出戻りで楽しんでいる人やずっと続けて楽しんでいる人には、今後も嫌なことが起こることなく楽しんでほしいと思います。
コメント
ヒロコ1号さん、こんにちは。
体調回復されたとのことで安心しました。
今回の記事の内容ですが、作品を楽しむには読者はあまりSNSでの製作者を知るべきではないということですね。
雑誌などは不適切な内容はカットされたりしますけど、時々カットせずに載せて問題になったりしますものね。
プロでも問題が出てくるのに編集も何も入らずそのまま発信できるSNSはすぐ炎上しても可笑しくないですね。
私は作品が素晴らしい=制作者も素晴らしいと考えてしまう気持ちがあったので、SNSでの炎上を見てガッカリしたこともあります。
誰でも使えるツールはリスク管理が出来ないと取り返しのつかない程、人の心が離れてしまうツールに変わってしまいますね。
いつもはどうしても感想を書くとなると長文にしてしまうので1行でギュッと感想を書いてるのですが、体調回復されたとのことで安心しましたので今回は長くなってしまいました。
これからも無理せずお体大切にしてください。
長文失礼しました。
>マンゴー大臣さん
こんにちは。先月は死ぬかと思いましたが今は大丈夫です。体調について言及してくださる人が意外といて驚いていますし有難いことです。感想は長文でも短文でも歓迎です。
SNSが登場したばかりの頃は、公式側との距離が近くなったことで、中の人達に親近感が湧いたり裏話などが手軽に聞けたりするかもというメリットだけに注目していました。
でも実際はこの結果で本当にガッカリですし、私は人生観までガラリと変わりました。
やはり世界に向けて発信する言葉は、慎重に体裁を整えてから出したほうがいいですね。
同人の交流でも、SNSなら他のツールよりも気軽にコミュニケーションが取れて、きっと楽しいはずと期待していましたが、見せられたのは好きだった人達の脳直の失言でした。
私も作品と作者は結びつけてしまうほうなので、作者が嫌いになったら作品にも冷めてしまいます。それは同人作品も商業作品も同じなので、どんどん心が萎えていきました。
普段から気を付けていてイメージダウンしていない人ももちろん存在しますが、ニュースになるのは炎上した人です。ちゃんと気を付けている人は目立たなくて話題にならないのに、炎上する人は無駄に有名になるというのも、SNSのロクでもないところだなと思います。
こんばんは。自分の復帰の可能性について考えてみましたが、無いかなと思いました。そもそも引退したのは、復帰の見通しがないと考えたからでした。
私は現役期間に何度か創作意欲を失ったことがあり、そういう時はしばらく休止して、また回復したら描き始めていました。
休止期間はだいたい数か月でしたが、一度すごいスランプに陥り、1年以上何も描かなかった時もあります。それでも作品愛は無くさずオタクとしては楽しめていたので、また意欲が戻るかもと考えて、引退するつもりはありませんでした。
また、たとえ作品に冷めても次の好きな作品に出会いましたし、二次創作の意欲が湧かない時は、オリジナル作品を描いていました。
その他にも、二次創作をしなくても好きな作品もありましたので、楽しみ方は色々あると思っていました。
まとめると「創作意欲をなくした」「スランプになった」「熱が冷めた」「ハマる作品がない」は、私の引退理由にはならないのです。
私が引退に至ったのは、今までとは次元の違う問題があったからだと思います。
ヒロコさんの記事を読んで、思い当たる気がしたのですが、私も色々なことに失望しているのだと思います。今は何か楽しそうなものや流行っているものを目にしても、どこか気乗りしない感じがして…。その感情の奥には不信感があるのかもしれません。
そのほかにも、お金の使い方にも疲れていた気がします。昔に比べて作品のサイクルが速くなったせいか、オタク向け市場が広がったせいか、短期間に集中してお金を投入させる仕組みが加速している気がして。
公式も商売なので、好きな作品には金銭的に応えていく必要があることは理解しています。でも金額的にもタイミング的にも、昔より自分のペースでお金を使うことが難しくなったと感じていました。私は公式にお金を使うことが義務感や責任感にしか感じられなくなったので、それも引退理由だったと思います。
>引退した者ですさん
こんばんは。私も、引退を決意した時点で、復帰の見通しが無いことは無意識のうちに理解していたと思います。でも現役の頃は出戻りの人達とも楽しく交流していたので、そのことを思い出しながら改めて考えてみました。
改めて考えてやはり無いと確信したので、この記事を発表することにしました。
ある程度の年齢になると自然にオタク趣味に飽きて離れる人もいますが、そういう人はまた出戻る可能性も充分にあります。でも私の場合、四十歳までまったく飽きなかったのに急激に冷めたので、普通に飽きたのとは違うもっと根深い問題があると考えています。
商業作品への興味が薄れているのなら、少なくとも二次創作はもう無理です。
やはり「失望」や「不信感」という言葉がしっくりくると思います。
盛り上がっているものを目にしても気乗りしないという感覚も、すごくよく分かります。
現役の頃は、自分がハマっていないジャンルでも、ある程度人気のあるものはすべて内容を把握していたのですが、今はどんな作品があるのかも詳しく知らない状態です。
公式の商売のやり方も、昔と比べると何だかなあと思うことが多くなりましたね。
これは私が年寄りで、昔はもう少し落ち着いていた記憶があるからそう感じるのだとも思いますが、それでも本気で最高潮にハマっている時ならお金を出せたはずなので、出す気が無くなったということは、つまりそういうことです。寂しいけど仕方がありません。
こんにちは。度々失礼します。
私は引退してから今まで立ち直ることに必死で、復帰について考えたことがありませんでした。でも今回、復帰の可能性を考えてみたら、それは引退した理由を深く考えることでもあるんだなと思いました。
おそらく私にも「普通に飽きたのとは違うもっと根深い問題」があるのだと思います。それに気付けただけでも、少し心が軽くなりました。治ったわけではないけど、病名がわかっただけでもホッとするような…そんな感じです。
引退後は娯楽に飢えているはずなのに、楽しそうに盛り上がっているものを見ると「気乗りしない」なんて、自分はどうしちゃったのかと不安だったので…。
寂しい話ではあるんですが、失望して不信感が染みついているなら仕方ないなと納得できました。
お金に関しても、公式への信頼とリスペクトを失ったら、意義ある出費に感じられなくなるのは当然ですよね(´;ω;`)
>引退した者ですさん
こんにちは。私が最後のイベント参加をした日に、スペースに来てくれた知り合いに「今後しばらく同人を休みます」と伝えたのですが、あの時の私は「やめる」とは言わなかったんですよね。これが最後の参加になるという告知も、まったくしていませんでした。
意図的に言わなかったのではなく、無意識だったことに今気付きました。
私はサイトを閉鎖する時もSNSをやめる時も、しっかりと「この日にやめます」と宣言して本当にその日にやめていたのですが、同人そのものの引退は誰にもハッキリ伝えないまま、後から残っている個人サイトを「更新停止」という形にして終わりました。
自覚は無かったけど、当時の私はやはり普通の状態ではなかったのかもしれません。
自覚していなかったことについて「こういうことだったのかも」と考えるのは大事なことだと思います。仰る通り、治らないけど、病名が分かっているだけでも不安にならずにいられるという感じですね。娯楽は、個人的にはもう無くてもかまわないかなと考えています。
今後もし楽しいことがあったとしても、同人よりも大興奮することはきっとありません。
こんにちは。返信の返信が続いてすみません(^◇^;)
ヒロコさんが引退告知をされていなかったというお話に驚いたので…。実は私も引退告知はしなかったのですが、ヒロコさんはそういう告知関係はハッキリされる方だと思っていたので…。
私の場合は、意図的に「引退」という言葉を使いませんでした。今楽しんでいる人達に対して「引退」の言葉は重すぎるし、場の雰囲気を壊すと思ったからです。
でもお別れは言いたかったので、一部の方だけに「しばらく活動休止するので、一旦ご挨拶させてください。」とお礼を伝えて、それが最後の言葉でした。
だから私は、ヒロコさんが引退告知をしなかったのは、らしくないかもしれないけど、不思議とは思いません。「引退」の言葉の重みを、無意識にでもわかっていたから…なんじゃないかという気がして。なんだか切ない気持ちになりました。
>引退した者ですさん
こんにちは。そうなんですよ、もっと円満(?)な感じの引退だったなら、絶対に事前にきちんと告知していたはずです。そして、まともな引退告知をしていなかったことを、七年くらい経った今思い出したんですよ。これはまだまだ封印された記憶がありそうです。
今楽しんでいる人の気持ちに水を差したくないというのは、確かにあるかもしれません。
でも当時の私がそこまで考えることができたかは怪しいんですよね。引退前後の頃にどういう順番で何をしたかの記憶が、ほぼ飛んでいることに気付いてしまいました。とりあえずサイトは更新停止の告知だけして、数年後にやっと「引退した」と書き足した感じです。
よく考えたら何とも曖昧な最後だったんだなと、自分で驚いています。