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同人活動の思い出/自分が「絵描き」だったか「字書き」だったかなんて心底どうでもいい

私は同人をしていた頃、漫画も文章も両方書いていました。

本は漫画本しか出したことがないので、便宜上は「絵描きだった」ということにしていますが、実際の同人活動では、漫画で描くとページ数が多くなりすぎるような長めの話は、文章にしてネットに上げていました。ジャンルによっては文章のほうが多い時もありました。

文章ばかり書いていたジャンルでは、私は字書きだと認識されていたはずです。
一方で、漫画とイラストだけ描いていたジャンルでは絵描きだと思われていただろうし、漫画と文章が半々だったジャンルでは謎の妄想おばさんだと思われていたのではないでしょうか。

それはともかく、現役時代の私は、自分の漫画を「漫画」と呼ぶのは平気だったのですが、自分の文章を「小説」と呼ぶのには抵抗を感じていました。自分の文章作品をサイトに上げる時は「ショートストーリー」という意味で「SS」という言葉を使っていました。

当時は大手の小説サークルさんとも交流があったので、そういう人の作品と比べれば私の文章なんてという心理があったのだと思います。でも、それを言うなら私の漫画だって大手の漫画サークルと比べれば(以下略)です。同人を引退してから数年が経つと、私の漫画やイラストのほうも、はたして本当に「漫画」や「イラスト」と呼べるほどのものだったか?と自問するようになりました。

私は絵描きだとか字書きだとか言う前に、ただ自分の妄想を形にして遊んでいただけの素人でしかありませんでした。それでも許されるのが趣味の同人活動で、技術は気にせず楽しんでいました。

私の勝手な妄想を形にして、見た人達がウケてくれて、満足したらそれで終わりの作品達は、後世に残るようなものでもなければ芸術的な価値もありません。ジャンルが流行っていた間、私がハマっていた間だけ、ひたすらノリと勢いで生み出されて消費されていった幻のような何かでした。

でも、それを作っている間は、本当にめちゃくちゃ楽しかったです。
絵だとか字だとかは関係無くて、私は自分が楽しいと思うことをやり切っただけです。

一応、二次創作同人の存在を知る前はオリジナル漫画を描いていて、その時は文章は書いていなかったので、無理やり分類するなら「絵描き」だったのかもしれませんが、本当に絵描きとしての誇りを持っていたのなら「ページ数多い漫画描くのめんどくさいから、この話は文章で書いたろ!」とはならんやろと思いますので、やはり私はラクして楽しむだけの謎の妄想おばさんだったのです。

さらに、歳を取れば取るほど脳内がフラットになって、ボンヤリしてきて、私が今書いているブログの記事も「記事」と呼べるほどのものか?というところまで来ています。
でも別の呼び方を無理に考えるのもややこしくなるので、便宜上は「記事」と呼んでいます。

自分が生み出したものが何かなんて分からないけど、そんなの別に決めなくても生きていけます。
ていうか、私が発信したものが何なのかを決めるのは、私ではなく見ている人達なので、私は考えるだけ無駄とも言えます。同人も他のことも、重要なのは自分が楽しめたかどうかです。

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コメント

  1. より:

    今晩は、標です。
    一字一句、「私もそう思う」と思える文章で驚いたのですが、
    所謂肩書きに拘らず、決めるのは見ている人達だという意見は
    本当に心から共感します。
    私も何かを作った時に肩書きを言うのはちょっと違和感を感じるタイプです。
    自問自答すると、やはり自分への違和感が出るので
    胸を張って○○家とは言えないです。
    なので、HPを作っても「○○作業を担当した」位しか書いてないです(苦笑)

    私にとっては、ヒロコ一号さんはSNSを無理に続けなくて良いという
    当時では5chぐらいでしか見れない、当時は特に貴重な意見をブログで出してくれた、
    背中を押してくださった人物と捉えています。

    何かをする時、過程を楽しんだ方がよいというお話をどこかで聞いたことがあって
    やはり、何事も楽しむことこそが一番大事ですね。

  2. ヒロコ1号 より:

    >標さん
    こんばんは。自分が違和感を覚える言葉を使うのは、やはり抵抗がありますよね。
    この話にしてもSNSのことにしても、私と同じ考えの人も結構いるはずなのですが、そういう人達がその意見をわざわざネットで発信することはおそらく稀です。

    SNSに興味が無くて使っていない人や、デメリットが予想できるから避けている人は、SNSで苦しんでいる人と接点を持つ機会がありません。最初から手を出していないから、中毒になった時の苦しさがどんなものかも知らないと思います。

    SNSを使わなければいけないと思い込んで苦しんでいる人達は、この世にはSNSを使わずに平和に過ごしている人達もいることに気付けません。誰かが「無理にやらなくてもいい」と伝えないと、無理したまま苦しみ続ける人がたくさんいることが分かりました。

    私は長年ネットに浸かって、SNSも経験して、その上でいろいろなものを克服しました。
    ネットの汚いところも、危険なところも、楽しいところもある程度知っているつもりです。
    今後も「これを書いている人あまりいないかも」と思ったことは発信していきたいです。