まだツイッターが無くて個人サイトが全盛期だった頃に、同カプで仲良くなった人がいました。
たまたま家が近いことが分かったので、数ヶ月に一度、直接会うようになりました。
相手は私より年上で、とてもきれいな絵を描く人でした。
食事をしながら自カプの話をしたり、自ジャンルが映画化された時は一緒に見に行きました。
ですが、数年経つとお互いに別のジャンルに移動しかけてしまい、お互いのサイトの更新が滞りはじめた頃から、なんとなく会わなくなり交流も途絶えてしまいました。
当時は少し残念だなと思っていましたが、今はあれで良かったと思っています。
なぜなら、ツイッターが登場する前にジャンル移動などで自然に縁が切れた人は、ツイッターによるイメージダウンが無いため、今でも「良い人」として記憶されていることが多いからです。
だって、この人以外の人で、同カプで、キャラやカプの解釈も近くて、個人サイトでは仲良く交流できていた人も、ツイッターを始めたら同人と関係無い話が多くなり、脳直の失言が多くなり、知りたくない情報を知ってしまい、その人の発言を見ていられなくなってしまいましたからね。
もしも、あのままずっと交流が続いていて、ツイッターが登場した時に相互フォローをするなんてことになっていたら、この人との思い出も嫌な結末を迎えていた可能性が高いです。
良い思い出で終われたのは、ツイッターが無くて必要以上の情報が入ってこなかったからです。
普段はお互いのサイトに通い、作品の感想を言い合う。
直接会うのは数ヶ月に一度で、プライベートの話はあまりせずオタク話をメインにする。
数少ない会話の機会を楽しみにしながら、必要以上の連絡は取らない。
この、とてものんびりとした交流の中で、萌え語りに集中するのが楽しかったです。
個人サイトしか無かった頃の交流は、当時は不便だと感じる時もありましたが、だからこそ余計な情報が入らなくてストレスが少ないし、相手との適切な距離感を保つことができました。
そういった交流のまま終われた人のことは、今も良い思い出として記憶されています。
コメント
こんばんは、ヒロコ1号さん。
私はぴくしぶ一本なんですが、その時に仲良くしていた方が続々ツイッターにいってしまってから、相手の本性が分かって幻滅したり、相手がツイッターに籠りっきりになって関係が消滅してしまったりで、ツイッターがますます嫌いになりました。
ツイッターはROMの方の人がどんな方なのが分かるのも苦手でした。
それまで作品は「せっかく描いたから同じジャンルが好きな人にガンガン見てほしい!」と思ってましたが、ツイッターで暴き出される、閲覧者の人となりが分かるようになると「こんな人達には見せたくない…」と次第に思うようになり、今は作品はマイピク限定のみにしてます。マイピク申請してくる方は、ツイッターをやってらっしゃらない方ばっかりでホッとしました。
どんな付き合いでも距離感って大事だとは思うのですが、ツイッターはその点ヤバいですね。距離感が分かってない方が使うと危険なツールですね。
>匿名Iさん
こんばんは。距離感の大切さについては、恥ずかしながらツイッターを使ってみて初めて気付きました。気付いた時には完全に手遅れでしたが…
昔は同ジャンルの人と話をする機会が本当に少なかったので、奇跡的に会えた時は「もっと話したい」と思ったものです。そこへ登場したツイッターは、いつでも同ジャンルの人と話ができる夢のようなツールに見えました。当時の自分の愚かさにとても後悔しています。
おっしゃる通り、描き手だけでなく読み専の嫌なところもたくさん見えるので、作品を見てもらうことに昔ほど喜びを感じなくなりました。ツイッターをしていない人は表向きには存在が見えにくいけど、だからこそボロも出ないので気持ちよくやり取りできます。
不思議なことに、ツイッターの呟きはイライラするのに、実際に会ってみたらそんなに嫌な人ではなかったというパターンもかなりありました。ですが、普段いつも見ることになるのはツイッター上の相手なので、直接会う機会も無いまま嫌いになった人がとても多いです。
ツイッターは、相手を嫌いになり自分も嫌われるツールとして優秀すぎます。
ヒロコ1号さん、こんばんは。
ツイッターのせいで、見えなくてもいい部分が見えてしまうのは本当に残念ですね。
私はツイッターをやっていた頃は、TLをほとんど見ていなかったのもありますが、見ていた範囲でそう痛い発言をしていなかった人は、大嫌いとまではなりませんでした。
けれど、この前も話題にされていた無断転載を平気でしている人、下品な内容やどぎつい下ネタをアカウント名にしている人などと相互フォローになっているのを見ると、本人はなにも痛い発言をしていなくても、何故、こんな人と平気でつながっているのだろう?と不信感を持ってしまったものでした。
そういう意味では、ツイッターにいる人とは以前と比べて心に距離が出来てしまったように思います。
ツイッターは情報収集のためにアカウントを取得して、なにもつぶやかず、誰もフォローしないという使い方をしていた知人もいましたが、今となってはそれが賢い利用方法だったとつくづく感じます。
>葉っぱさん
こんばんは。結局、ツイッターをしていても印象が悪くならなかったのは「ツイッターをあまり使ってなかった人」でしたので、もうやるだけで害悪というイメージしかありません。
そうなんです。本人のツイートは特に問題無くても、痛いツイートをしている人とつながっていることが分かると「こんな人とつながっていて平気な人なのか」と落胆します。
まあこれは「フォローしている=相手を100%肯定している」と考えてしまう私にも問題があるのかもしれませんが、実際に肯定していてもイヤだし、付き合いで仕方なくつながっているとしても、そんな事情は見ている側には分かりません。外野からは「痛い人と相互フォローしている人=この人も痛い」と思われるだけで、何の得にもなりません。
TLをほとんど見ていなかったのは、本当に正解だと思います。
私は交流のため、TLを見まくるつもりで始めてしまったので、ひどい目に遭いました。
こんばんは。過去記事にコメント失礼いたします。
私も同人サイト全盛期にとても仲が良かった人がいたので、この記事を読んでその方のことを思い浮かべました。10歳くらい年上でしたが、同カプでキャラ解釈が近くて、私の場合は住まいが遠かったため、メールでの萌え語りをよくしていました。
Twitterよりも前、二次創作の発表の場が、同人サイトからpixivに移り始めたあたりで自然消滅してしまったのですが、今も懐かしく思い出します。
9割ぐらいキャラ解釈が近く、残りの1割だけ異なるような感じだったのですが、当時はそれを「解釈違い」とは感じませんでした。その違う部分があるからこそ、自分には思いつかない萌えネタを提供してくれて余計に楽しかったという記憶があります。
解釈違い・逆カプ・地雷・新参古参・作風による対立など、今では私もピリピリしていますが、その当時はもっとゆるやかで、ざっくりと「同じ作品のファン」として交流していました。もちろん「私にとって萌えない作品」を描く人もいましたが、それはやんわりスルーするだけで、憎しみほどの感情は持っていませんでした。
特殊な作風や解釈違いに出会っても、所詮はみんな二次創作、「お互い公式に隠れてやっているのだから、誰も大きな顔なんでできない」という気持ちが根底にあって、暗黙のマナーや距離感が守れていたのかもしれません。振り返ると、なんて平和で幸せな時間だったのだろうと思います。(当時いたジャンルがたまたま平和だったのかもしれませんが)
二次創作の立ち位置や、仲間との距離感など、Twitterは色々なものを変えてしまったように感じます。Twitterでの活動に慣れている若いオタクの人達に、同じ感覚を理解してもらうのは難しいだろうと思います。
今となっては戻れない過去ですが、美しい記憶が少しでもあってよかったなと思っています。
>匿名のKさん
こんばんは。確かに、昔からキャラ解釈が近い人はいても、完全に一致する人はいなかったと思うのですが、昔はそれを不快に感じたことはあまり無かったです。いつからピリピリするようになったかと考えると、やはりツイッターが普及してからだと思います。
私もツイッター以前の交流は全体的に平和でした。何かトラブルがあっても、ツイッターで常に感じ続けていた不快感に比べれば、たいしたことはなかったです。ツイッターは特に具体的なトラブルが無くても、些細なことで常にイライラさせられました。昔はあまり意識していなかった「暗黙のマナー」と「距離感」が、どれほど大切なものだったか思い知りました。
ツイッターが無かった頃は穏やかに交流していた相手が、ツイッターを始めてから鬱陶しくなってきて縁が切れるということが多発して、当時はただイライラするだけで冷静に原因を考えたことはありませんでしたが、ずっと後になってからいろいろな事が分かってきました。
少数でも、キレイな思い出のまま別れることができた人がいたのは良かったです。
正直、ツイッターしか知らない人は交流を楽しめているのか?ストレスを感じながらも他の方法が無いと思ってやめるにやめられないだけでは?と、どうしても考えてしまいます。
自分自身の経験を振り返っても、年齢関係無く他人の体験談を聞いてもそう思います。