私にオタクの友達ができたのは高校に入ってからのことですが、実は学校の友達だけでなく、実際に会ったことは無いオタクの文通相手も数人存在していました。
それはそうと「文通って何?」という若者は自分で調べてください申し訳ありません。
当時はいろいろな雑誌に「文通相手募集」のコーナーがあって、募集している人の住所氏名が雑誌に掲載されていて、雑誌を見ている人は気になる人に手紙を送るという仕組みでした。
令和の常識で考えると頭イカれてんのかと思われそうだけど、当時はそれが普通でした。
高校生の頃の私は、雑誌の文通コーナーでオタクの文通相手を募集したり、自分からも気が合いそうな人に手紙を送ったりしていました。私と同じように絵や漫画を描いている人とは、お互いの作品を見せ合ったりもして、当時は本当に楽しかったです。
十代のオタク女子が同じオタク仲間と大はしゃぎしていた手紙ですから、痛々しいこともたくさん書いていたと思います。でもその内容は、今のSNSみたいに世界中に拡散されることは無く、手紙をやり取りしていた相手としか共有されていません。私は本当に1976年生まれで助かりました。
それに、もしも当時の私の手紙がまだ現存していてネットに晒されたとしても、それは三十年以上前の話だから!当時の私と今の私はもう、そこそこ別人と考えていいから!というわけで、あまりにも大昔すぎてネタとして笑い飛ばせる段階になっていると思います。
当時も「雑誌に住所氏名を載せることにはリスクも伴う」という感覚はありましたが、それでも同じ趣味の仲間と出会いたくて本当に必死だったから、私は文通相手も募集していました。
ただ、一番長く文通が続いた人でも、私が大学を卒業する頃には手紙が来なくなって、それっきりになりました。でも、そこまで続けば充分すごいし、文通をしていた間はめちゃくちゃ楽しかったので良い思い出です。その後はインターネットが普及して、手紙を書く人は減っていきました。
今思えば、当時の私はオタク仲間を探すことに必死で、私がキモオタでも仲良くしてくれた非オタクの友達には塩対応だったところがあり、そこは同人を引退した後(四十歳以降)からずっと反省しています(反省するの遅っ!)私の手紙の内容よりも、こちらのほうが笑えない黒歴史です。
ちなみに、雑誌に掲載された私の高校時代の住所ですが、今はそこに家はありません。あと、同人を引退した後も一度引っ越したので、自家通販をしていた時に封筒に書いたリターンアドレスも今とは違うものです。これ、住所がずっと変わっていない人は危険なのでは?と心配になります。