その他の雑談

私が奇面組を好きな理由

私はこれまで多くの漫画を読みましたが、一番好きというか、私にとって「原点にして頂点」と言える作品は奇面組だと思っています。原作は全コマ記憶するほど何度も読み返しましたし、その記憶は今もあまり薄れていないし、あの膨大な人数のキャラ達の名前と顔も全部覚えています。

同人活動を引退してからの私は頭がボンヤリしがちですが、さすがに小学生の頃にそこまで強く心に焼き付けたものは、簡単には忘れません。当時、他にも面白い漫画はあったはずだけど、それでも私は奇面組が一番好きで、今回はその理由について語ります。

以下の文章は、1988年に発売された原作最終巻のあとがきの中の一文です。

他人に合わせようとするとぎこちなくなり、自分に正直にふるまおうとすれば、他人とぶつかる。(中略)そんな連中を隅っこに追いやらず、堂どうと舞台に総結集させたら面白い話になるんじゃないかな!?

引用元:ジャンプコミックス「ハイスクール!奇面組」第20巻 作者あとがき

当時の私は小学生でしたが、オタクなせいで他の人達と話が合わない時もありました。
私のオタク趣味は、まだインターネットも無くて周囲にオタク仲間もいなかった頃は、他の人達からかなり変わったものとして見られていました。それでも私と仲良くしてくれたり、私が描いた絵や漫画を褒めてくれる人もいたけど、私がやっていることを奇異の目で見てくる人もいました。

漫画やアニメを見る時も、他の人達は奇面組も含めたさまざまな作品を、あまり深く考えずに楽しんでいるように見えました。でも私は、年齢一桁の頃から物語の考察をしたり、原作とアニメの描写の違いについて考えたりして、完全に濃いオタク的な見方をしていました。

なので、他の人達と話をしても、同じ作品が好きだと言っているのに、何故か話が合わなかったり物足りなかったりして、地味にストレスを感じていました。
当時の私は「私が一番楽しいと思う話は、誰もついてこられないんだ」と寂しがっていて、周囲にどれほど人がいようと、心はひとりぼっちという感覚が強かったです。

私のオタク趣味を理解してくれる人がいないのも寂しかったけど、当時の私の周りには、私と同じように何かに熱中していたり明確な夢を持っている人が見当たらなくて、何かに必死になること自体を冷笑する人もいて、それも悲しいと思っていました。

奇面組のキャラ達の個性も、私の「キモすぎるオタク」という個性も、いわゆる「普通」の人と比べると変なものだし、疎まれることもある…でも、そんな人達が主役になって活躍するのが奇面組の世界です。このテーマは、最終巻のあとがきの文章が無くても、作品を読めば伝わってきます。

当時の私はこのテーマに共感して、この作品が一番好きになりました。
現実世界では周囲と違っていると孤独になることもあるけど、奇面組の世界では、みんな違うけど孤独ではなくて「みんな違ってみんないい」がきちんと成立しているのです。

私は高校に入った時に、やっと自分と同じオタクの友達ができて、そこで初めて自分が望む会話を楽しむことができました。また、オタク趣味以外のことにも、それこそ「変態」的な勢いで熱中している人に、漫画ではなく身近な現実の世界で出会うことができました。
そうして満足した後も、奇面組が私にとって大切な作品であることは変わりませんでした。

で、そのままオタクとして楽しく一生を終えられれば良かったのですが、今の私は同人女やオタクというアイデンティティを失ってしまって、自分の個性と言えるようなものは何もありません。
一応、毎日呼吸はしているけど「私と言えばコレ!」という輝かしいものは持っていません。

だから、今の私が「奇面組のモットー」を聞くと普通にダメージを受けてしまうのですが、これは歳を取ってから「子供の頃の夢」を思い出して「今はもうそんな気分じゃないな…」と、懐かしさと虚無感に襲われるのと同じ現象で、高齢者なら特に珍しくもないことです。

あの言葉は、小学生の頃の私を勇気づけてくれた「お守り」だったけど、今はもう全肯定することはできません。全肯定はできないけど、言葉はまだ心の中にあるという不思議な状態です。
人生で一番最初にハマった作品の影響力ってヤバイなと、今はそのことに感心しています。

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