同人活動の思い出/同人の絵描きと字書きって区別する必要ある?

同人をしていた頃、イベント会場で、私の本を指差して「これって小説ですか?」とたずねてきた人がいました。表紙は私の絵でしたがサイズが小さい本だったので、小説かもしれないと思われたのかもしれません。それで「いえ、漫画です」と答えたら「じゃあ買います」と言われました。
買うかどうか、そこで決めるの!?と驚いた記憶があります。

私が同人活動を始めた一番の動機は「同じ作品やキャラが好きな人達とオタク話がしたい」というものでした。リアル生活でもオタクの友達はいたけど、ジャンルやカプは違ったので、同ジャンル同カプで全力で語り合える仲間がどうしても欲しかったのです。もしもリアル生活でそれが手に入っていれば、私は同人やインターネットにあんなに依存しなかったはずです。

だから私は、絵描きでも字書きでも見る専でも、同じジャンルの人なら仲良くしたかったです。
漫画でも小説でも、作品ではない萌え語りでも、推しの話なら全部見たかったです。
自分の作品も、ギャグや短編は漫画で描いて、漫画で描くと時間がかかりそうな長めの話は文章で書くというように、表現方法を使い分けていました。

目的は「私の妄想を伝えること」なので、ジャンルによって漫画のほうが見てもらいやすそうなら漫画メインで、小説も強いジャンルなら文章も出すみたいなこともしていました。
どちらかしか選べないという決まりは無いのだから、臨機応変にどちらもかけばいいのです。

画力?文章力?知らん知らん!内容が伝わればオッケーです。推しのここが良いとか、こうだったら萌えるという話を、読者に伝わるように表現すれば、それなりの人数が共感してくれました。
私が二次創作でもらっていた反応の数は、私の妄想に同意してくれた人の数であり、私の絵や文章のクオリティは関係ありません。技術しか見ない人は、これを理解してくれないから困ります。

趣味の活動なのだから、私の絵のレベルでも漫画本を出してかまわないし、文章も、このブログの文章を見れば二次創作のほうのクオリティもお察しかと思いますが、それでもお話を書いてかまわないのです。大手さんほどは売れなくても、同じ嗜好の人達が内容に同意してくれて、リアル生活では得られない交流を楽しめました。当時の私が死に物狂いで求めていたものです。

私はこういった考えで同人活動をしていたので、絵描きまたは字書きを差別したり、見る専の人に対して「無産」などと言ったりする人は正直どうかと思います。
よく「頑張っているのに反応が無い」と言っている人は、作品が悪いのではなく、つまらないことばかり気にして楽しんでいないのがバレているのではないでしょうか?

今の私は同人を引退して心身ともにヨレヨレになり、イラストしか描けなくなりましたが、イラストもまた、一瞬で見られるから見る人の時間を奪わずに気楽に見てもらえます。
自分がイラストしか描けなくなってから、初めてこの長所に気付くことができました。

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コメント

  1. うさぎ より:

    こんばんは、小説は漫画と違って一見でその人の作風がつかみづらいし、読了にも時間がかかるので、どうしても読むハードルが漫画より高くなりがちだとは思います。(メジャージャンルで読むものが潤沢にある場合は特に)

    同人誌の場合、漫画なら多少内容が期待しているものと違っても、その人が描いた推しの絵の雰囲気が好きなら余程内容が地雷とかでない限りはそれなりに楽しめたりしますが、小説は完全に内容のみの勝負なので、ある程度作風を知っていて「この人なら大丈夫」と思える方の本でないと手を出しにくいのはあるかもしれません。

    でも「この人なら大丈夫」と思ってもらおうと思ったらまず自分の作品を読んでもらわないことには始まらないので、字書きさんは最初の読んでもらうまでの段階が本当に大変だと思います。

    私はそもそも小説が書けないので仕方なく下手くそな絵で漫画を描いていて、他の方々の絵と比べたらだいぶ見劣りしますが、それでも漫画というだけで読んでもらえるのでありがたく思っています。
    でも、昔は自分が絵が上手くないことを本気で悩んでいて、その時にヒロコさんのブログの内容(今回の記事の後半のような感じのものです)を読んでハッとしたのを覚えています。

    なんのために二次創作をするのか?と考えたら、私は自分の好きな気持ちを形にしたいとか、自分の萌えや妄想を誰かに見てほしい、同じものが好きな人たちと共有したいという、ただそれだけでした。別に絵が上手いとか、この人はすごいとか、思われたいわけではないのだ…とわかったら、とても気持ちが楽になりました。

    絵描き・字書き・見る専とか、立場で人を差別したりするのは私も理解できません。
    昔は今ほどそういった差別のようなものはなかったような気がしますが…SNSで数字が強調されることにより、ヒエラルキーのようなものができてしまった弊害でしょうか。

    イラスト、夜の秘密のひとときみたいな感じが素敵ですね。少し前に描かれてたピクニックという絵も涼しげな色使いや楽しそうな雰囲気が好きです。時々描かれるマリンルックの女の子たちもかわいいです。

  2. ヒロコ1号 より:

    >うさぎさん
    こんばんは。漫画や小説は、まず読了してもらえないと感想もクソも無いので、その点で一枚イラストはタイムパフォーマンスが良いと今の私は思っています。確かに小説は「この人なら大丈夫」と思ってもらえるまでが大変かもしれませんね。私は漫画も内容重視ですが、絵柄が気に入れば買うという人もいるので、その分ハードルは低いのかもしれません。

    私も、自分の妄想を見てほしくて、あわよくば共感してもらえたら嬉しいと思って同人をしていたので、上手いと思われたいなんて考えたことは一度もありません。
    自分の絵は下手だけど嫌いではないし、技術を磨けばさらに評価されたかもしれないけど練習は苦痛なので、それで苦しむよりも、ストレスが無いほうの道を私は選びました。

    違う立場同士の対立みたいなものは、昔は今ほど酷くはなかったですよね。最近は「そんなことを気にする人がいるの!?」とショックを受けることもありますが、実際は、趣味の同人に変な考えを持ち込んでいる人達が勝手に喧嘩をしているだけで、何の問題も無く楽しく活動している人達は、そんなことは考えたことも無いはずと信じたいです。

    イラストの感想もありがとうございます!マリンルックの女の子たちは、私が小学生の頃に描いていたオリジナル漫画が元ネタで、設定などもあるのですが、小学生の頃に作ったものなのでいろいろと荒唐無稽すぎて、詳細は伏せてイラストのみで表現しています。
    小学生の頃に描いていた漫画はツッコミ所が多すぎて、今読むと別の意味で楽しいです。

  3. あずさ より:

    こんばんは。今はSNSの台頭で流行作品のハイクオリティな二次創作イラスト・漫画を気軽に見ることが出来るので、pixivなどに登録してまで小説を探す層が減っているのかもしれませんね。
    「無産」という言葉は私も嫌いです。もちろん漫画や小説は好きですが、正直、普段お世話になっているのは医師や警察や住む地域の方々のほうだから…と思ってしまいます。人はそれぞれ自分のできることをして支え合っているのに、創作至上主義な狭い価値観を持った方は普段リアルで他人と関わってないのか?と不思議に思います。

    最近あまりネットを見なくなってしまったのですが、またブログやイラストの更新たのしみにしております。暑い日が続きますが、どうぞご自愛ください。

  4. ヒロコ1号 より:

    >あずささん
    こんばんは。昔の私は、個人サイトで連載されている小説が一話ずつ更新されていくのを楽しみにしながら通い詰めたり、ピクシブの小説も、自カプのものはすべて読み尽くすつもりで毎日ネットに張り付いていました。良かったものには感想も送っていました。

    今は同人を始める目的も昔と違うのかなと悲しくなりつつ、それでも、私の目が届かないところでは、純粋に楽しく活動している人達もいるはずと信じたいです。

    SNSが無かった頃は「無産」なんて言葉を使う人はいませんでした。
    あれは創作至上主義ではなくて、ただ誰かを見下したい人が、見る専の人をその対象に選んだだけだと思います。本当に創作一筋な人は、他人を気にするヒマはありませんので。

    でも、創作って実生活に絶対必要なものではないよね…ということも、引退してからしっかり自覚しました。事実だけど、そう思う自分がちょっと嫌だとも感じています。
    今はそう思っていても、昔の同人が生きがいだった頃の気持ちも否定したくないです。
    今年の夏も暑くなりそうですが、無事に生き延びたいです。