同人活動の思い出

同人活動の思い出/ローカルサイトの存在を知った時の衝撃について

同人で「ローカルサイト」と言うと、ローカルホストで構築するサイト、ネット上にアップロードせずに自分のパソコン内だけに置いているサイトという意味かと思います。
個人サイト全盛期の頃は、そういったローカルサイトを作っている人もいたと聞きましたが、現在もそういう人がいるのか、スマホやタブレットでも同じことができるのかは不明です。

ローカルで誰にも見せないサイトを作っている人の存在は、某匿名掲示板で知りました。
今はどうか分かりませんが、当時はそういう人達が集まるスレッドがありました。
自分だけが見られるサイトをローカルで作って、本も出さないという活動スタイルです。

これを初めて知った時、私はとても驚きました。せっかく作った作品をどこにも発表しないのは勿体ないと思いましたし、私は他の人の作品を見るのも好きだったので残念だとも思いました。
もしかしたら同じジャンルやカプで素敵な作品を作る人が、ローカルで誰にも見せずにやっている可能性があるかもと考えると「頼むから見せてくれー!」という気持ちになっていました。

ですが今は、ローカルサイト管理人の考えも理解できるようになりました。
私が考えていた同人活動とは、自分の作品も見せて、他の人の作品も見て、気が合う人がいれば交流して…というものでしたが「自分の作品を作る」以外のことは不要という人もいるんですよね。

現にローカルサイトをやっていた人達は「自分の作品が大好きで、自分で作ったサイトをひとりで眺めるのが幸せで、他人に公開することには興味が無い」という考えのようでした。作品を見せてもらえないのは残念だけど、他人の評価に依存した状態よりはずっと幸福だと思います。

言われてみれば私も未就学児だった頃は、自分の絵を人に見せようという発想があまり無くて、ただ思いついたものを形にすることに快感を覚えていました。自分で気に入った絵はずっとひとりで眺めていて、その時間がものすごく幸せだった記憶があります。

小学生や中学生の頃も、仲が良い人には描いた漫画を見せていたけど、面識の無い人にまで見せようとは思いませんでした。この頃はネットも無くて、周囲には非オタクしかいなかったので、見せたところでそんなにディープに盛り上がることはできないという諦めもあったかもしれません。

でも、高校に入ってオタクの友達ができて同人活動を始めると、一気に「本を出したい!」「同じ趣味の人に見てもらいたい!」という欲が生まれて、大学を卒業してネットを始めたら「まだ見ぬ同士を探して萌えを語り合いたい!」と、どんどん強欲になりました。

つまり、しょーもない欲が出てきたのって、同人やネットのせいなのでは?という恐ろしい闇が発覚してしまいましたが、いや、これ、アラフィフになってから気付く?と自分で呆れています。

同人をしていた頃の自分がそういう感じだったから、同じ趣味の人に見てもらえる手段があるのに敢えて見せないローカルサイト管理人に、昔はあまり共感できなかったのだと思います。
今は、自分がそういう感じだったからこそ、ローカルサイト管理人を心から尊敬しています。

コメント

  1. うさぎ より:

    こんばんは。現代でもローカルサイトを作っている人がいるのかは分からないですが、鍵をかけた状態のTwitterや、ローカル環境のTwitterのような形式のアプリ?(詳しくないのでどのようなものか知らないのですが)で誰にも見せない状態で壁打ちをしているという人ならネット上の書き込みでみつけたことがあります。

    そうやって好きに書き溜めた作品を時おり自分で見返して幸せに浸るとのこと。そういうひっそり楽しむ系の人達の話がすごく好きでもっと聞きたいと思っているのですが…そういう人はそもそもネットでの発信をしない人が多いからかあまり見つけられません。(ローカルサイトを作っている人の話もとても興味深かったので軽く検索してみましたが見つけられず…)

    人に見せてこそ輝く作品もあるけど、自分のためだけに描くからこそ作れる作品もあるんじゃないかなと思います。でも、誰かが見たら泣いて喜ぶかもしれない作品が作者のPCの中だけに眠っているのはたしかにとてもはがゆいですね笑。

  2. ヒロコ1号 より:

    >うさぎさん
    こんばんは。ツイッターの鍵とかすぐ不具合で外れそう(偏見)と思いますが、今の時代だとアプリでそういうことができるものもありそうですね。現役時代の私はローカルでやろうなんて考えたこともなかったので、ネットの書き込みでその存在を知った時は驚きました。

    ただ、昔の私は自分の作品をどんどん発表していましたが、その一方で「完成させたものを自分ひとりでゆっくり眺める時間」も楽しいと思っていました。
    それなら、少し意識を変えるだけでローカルサイトの良さや、やっている人の気持ちが分かるようになるかもしれないと、今はそのことに気付いて新しい世界が見えました。

    作品を見せて欲しいという気持ちはあるし、こういった欲が無い人に限ってものすごく上手いのでは?という夢も見ていますが、作者本人にその気が無いのなら仕方ありませんね。
    確かに、作品自体を見せないのに、そのやり方についてネットで語る人は少なそうです。
    昔の某匿名掲示板でも、わざわざ書き込んでいた人はごく一部だったのかもしれません。

  3. みんと より:

    こんばんは。過去に「ストレスを感じているのにツイッターをやめられない人が多いのはなぜか?」の記事でコメントをした者です。あのときは私の愚かで見苦しいコメントに対して丁寧に返信してくださり、本当にありがとうございました。そのおかげで今の私は穏やかな日々を送っていますし、ヒロコさんのブログで救われている人は私以外にもたくさんいらっしゃると思います。
    現在の私がまさにローカルサイトを作って楽しんでいる身なので、コメントいたします。

    ツイッターのアカウントを消してからの私は作品を個人サイトに上げることすら苦痛だったので、誰にも見せずに一次創作をしていました。確かに平和ではありましたが、そのときはまだ「やはりツイッターをやめるべきではなかったのか」「作品を表に出したくないという気持ちは甘えなのか」という悩みも抱えていました。
    とうとう「なぜこんな思いをしてまで創作をしているのか?」と考えるまでになりましたが、そんな中で私が出した結論が「自分が見たいと思う作品を見ることができるから」でした。ローカルサイトの存在を知ったのも同時期です。それがわかってからは趣味である以上、作品を無理に表に出す必要はないと断言できるようになりましたし、試しに私もそういったサイトを作ってみたら完全に吹っ切れました。
    さらに、ツイッターでのトラウマでもう二度と新しい作品にハマることはないだろうと思っていましたが、ローカルサイトで落ち着いたからかまた別の新しい作品にハマることもできました。現在はその作品を自分のペースで緩やかに追いながら二次創作も楽しんでいます。

    結局、私に一番合っていたのはローカルで完結という形態でしたが、この考え方は他の人の作品を楽しみたい人からすると残念に思ってしまうのかもしれません。しかし、無理に作品を発表してストレスを溜め、まったく創作ができなくなるよりかはいいだろうと思っているので、今後も同じようなスタイルで作品を作り続けるつもりです。
    自分の本当の欲求に気がついたきっかけが自分をあれだけ苦しめたツイッターだと思うと結構な皮肉だと感じますが、今となってはあれも無駄な経験ではなかったと思います。ツイッターのことでずっと愚痴を言っていた私がこのような考え方になれたのは、ヒロコさんのブログのおかげでもあります。

    長くなってしまいましたが、次回の更新も楽しみにしています。

  4. いにしえの腐女子 より:

    こんにちは、久しぶりにコメントさせていただきます。
    ローカルサイトの話題、今の自分にはとてもタイムリーでした。
    pixivに上げていた作品をすべて下げて個人サイトを作るつもりでいましたが、最近はもうこのままローカルでもいいかな、と思いはじめています。
    大好きで、大事なものほど一人で楽しむのが幸せなような気がします。萌えは誰かと分かち合うことで喜びも楽しさも倍になるとは思いますが、だからといってその誰かがいないことが寂しいというわけでもないと思うんですよね。自分だけでその喜びを噛み締めて、幸せな気分に浸ることはとても豊かなことなんだなと感じています。
    ただ、こういう感じで生きていると脳内で妄想するだけで満足してしまい、なかなか形にするのが難しかったりもしますね。まだ自分の中で、形にする=誰かに見せる、という考えから抜けきっていない証拠のような気がしてなりません。
    私もヒロコ1号さんのように、自分のためにまた筆が執れたらいいなぁと考えています。

  5. ヒロコ1号 より:

    >みんとさん
    こんばんは。今は穏やかに過ごされているようで、本当に良かったです。
    ローカルサイトというのは、もともと評価や交流に興味が無い人がやるものかと思っていましたが、いろいろあって傷付いた人にとっても救いになるものなんだなと分かりました。

    作品を作ることと発表することは、まったく別のことだと思います。
    作ったあと発表するかどうかは作者の自由ですし、作るのは楽しいけど他人には見せたくないという考えも当然アリです。自分が見たいものを作れればそれでいい場合、他人に見せる必要はありませんよね。趣味の活動ならそれこそ、各自の自由でいいはずです。

    私は同人をしていた間は「見てもらいたい」という欲があったので、最後まで表に出ていましたが、それでもツイッターだけは絶対に使いたくなくて個人サイトに帰りました。ローカルサイトは作品を見たい人にとっては残念ですが、世の中には作品を見せてくれる作者さんもたくさんいますので、作る側は自分が一番ストレス無くやれる方法でやってほしいです。

    ツイッターの思い出は地獄のようなものでしたけど、終わってみれば貴重な経験だったと私も思います。なかなか複雑な気分ですが、そんな私が誰かを救えているのなら幸いです。

  6. ヒロコ1号 より:

    >いにしえの腐女子さん
    こんにちは。私は高校に入るまではオタク仲間がいなくて、オタク同士の交流にとても飢えていたせいで、同人を始めた途端「見せたがり」になったと思われます。
    でもよく考えたら、ひとり遊びも充分できるタイプだったと最近思い出しました。

    他の人と萌えを共有したくて作品を作るのもまた、悪いことではないと思います。その楽しさも分かった上で「もし誰にも見られなくても自分が作りたければ作る」という気持ちも同時に持てたなら、ひとりでも作り続けられて、人に見せても楽しいという境地に行けます。

    誰にも見せないなら脳内妄想だけで満足してしまうというのも、それはそれで分かります。
    そこも含めて、無理をせずに「作れる時に作る」という感じでいいのかなと思います。
    今になって、純粋に自分のために筆を執る感覚を思い出したのは本当に奇跡ですね。

  7. マイペースな読者 より:

    いつも楽しく拝見しています。
    非公開にしなくても、実質ほとんど誰もこない創作系ブログやホムペなんかも、本人だけが待ったり楽しめる聖域にしているのかもしれませんね。

    文章を書いたり、絵を描いたり。
    そういう作業は本来自分の心を癒すためのものですから。気兼ねなくすればいいものです。SNSが悪いといいましてもSNS自体がなくなるはずもなく、みんなそれぞれネットの恩恵を受けているので、じょうずに付き合うしかないんでしょうね。

    自分も最近はアクセス数だとか、いいねの数だとか気にしなくなりました。
    「自分がつくったものが自分が大好き」。それでいいんじゃないでしょうか。他人のを褒めるのが負けじゃないし、ライバルより数字がいいからって人生勝ったわけじゃないですし。

    つくったのに評価されないとぼやく人の声を聞くたびにすごく悲しくなります。自分の感情に向き合っていないからです。

    お絵かきを再開しましたという日記は、読んでいる側も嬉しくなりました。

  8. ヒロコ1号 より:

    >マイペースな読者さん
    検索避けをして自分から宣伝もしなければ、実質ローカルに近い状態にはできますね。
    絶対に見せたくないわけでもないけど、敢えて見てもらわなくても大丈夫という人もいると思いますので、そんな感じで気楽にやっている人達もどこかにいるはずです。

    安易に昔と比べるのもどうかとは思うのですが、今はなんだか、最初から評価をもらうことだけが目的で創作を始めているような人が、ネット上で目立っているように見えます。
    個人的には、まず自分が創作したいという気持ちが先にあって、他人からの評価は万が一もらえればラッキーと考えるのが普通だと思っていたので、私はちょっと付いていけません。

    SNSで高評価を狙っている人も、もし評価が少なくて悔しかったとしても、それはそれとして自分の作品には愛着があるという状態が普通だと思っていたのに、評価に対する文句しか言わない人は見ていて本当に悲しいですね。数字が欲しいだけなら他の趣味に変えるか、わざと炎上騒ぎでも起こせばいいのにと思います。創作の世界に入ってきてほしくないです。

    と、ここまで考えて、私は絵の練習はサボっていたのに、意外とお絵描きや創作が本当に好きだったのかもしれないと今気付きました。これに気付けたのは収穫かもしれません。

  9. ゴンザレス より:

    こんばんは。

    個人サイトや○○サーチの全盛期を知るオタクですが、ローカルサイトというものがあるのは知りませんでした。きっとその頃の自分がその存在を知ったとしても、かつてのヒロコ1号さんと同様に勿体無いなぁと思っていたことでしょう。

    でも、今はローカルサイトを運営する人の気持ちをすごく理解できます。
    私はネットに公開している個人の同人サイトを運営していますが、ほとんど訪問者はいません。けれど、誰かに閲覧してもらったり評価されなくても、自分の作った小説や絵や漫画が整理されて並んでいるページを見るだけで心が満たされています。
    Twitterに投稿していた頃は自分の作品をあまり見返したりしなかったのですが、個人サイトを作って一つのページで作品一覧を見れるようにしたところ、これはここを頑張ったなぁ、次はこんな風にしよう、と自分の作品の良さや改善点に向き合うようになりました。

    自画自賛や自己完結と言われてしまえばその通りですが、自分が楽しく創作できることが1番大事なので、これでいいと思っています。
    交流や評価に辛さを感じている人にこそ、こういう楽しみ方もあるのだと知ってもらいたいですね。結果的に何を取るにせよ、他にも選択肢があるのだと知らないと選びようがないですから。

  10. ヒロコ1号 より:

    >ゴンザレスさん
    こんばんは。ローカルサイトの存在は、知り合いでやっている人がいるとか、匿名で書き込める場所をよく見ているとかでなければ、当時もなかなか知る機会は無かったと思います。

    個人サイトは自分の作品を展示する方法として一番良いものだなと、全盛期が終わってから気付きました。ツイッターだと過去のものはどんどん流れてしまいますので、全部の作品をゆっくり見返すのには向いていません。あれならピクシブのほうがまだマシですね。

    自画自賛は、自分の心の中だけでやっている分には問題ないと思います。自分が好きなものを楽しんで作って、完成したら自分で眺めて満足すれば、とりあえずそれで一旦完結です。
    昔の私は、そこからさらに人に見せて褒められたら嬉しいと思っていましたが、今の私は見せても見せなくてもいいし、褒められても褒められなくてもいいという心境になりました。

    評価を気にする人は昔からいましたし、それが悪というわけでもありませんが、今は昔よりも変な方向に行っている人が多い気がして、これもツイッターのせいだと恨んでいます。
    重症な人ほどツイッターにしがみついて、他の選択肢が見えていないのも悲劇です。

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