同人で交流をしていると、特にこの人とはキャラやカプの解釈が近いとか、イベントで会って話してとても盛り上がったとか、そんな「そこそこ特別な相手」が現れることもあります。
普段の生活では自ジャンルの妄想や考察を語れる相手は周りにいないけれど、この人となら思いきり語り合えると感動するわけですが、ならその人は「友達」なのか?と言われると、それはどうなのだろうなと考えてしまうのが、同人界隈の不思議なところです。
どれほど話が盛り上がっても、自ジャンルや自カプの話しかできない相手は、あくまで同人仲間というだけであり「友達」とは少し違う存在だと、今の私は考えています。
大抵は「ジャンルの切れ目が縁の切れ目」と言うように、作品や推しを通じて繋がっているだけの関係で、別ジャンルに移動すれば交流もあっさり途切れることが多いです。
ジャンルが変わっても交流が続く人もいますが、それも結局は「同人」という共通の趣味があるから話ができているだけで、それこそ同人引退でもすれば縁は切れてしまうものです。
もしも、交流しているうちに同人以外の話もできるようになったり、どちらかが同人をやめても一緒に遊べるような関係になれば、それは「友達になった」と言えるかもしれません。
ですが、そこまで行けることはなかなかありません。
とは言え、自分が今猛烈にハマっている作品について、二次創作やカップリングのことを全力で語り合える相手が現れたなら、それができない非オタクの友達よりもその人と親しくなりたい、その人こそが本当の「友達」なのでは?と考えてしまうのは仕方の無いことです。
ネットが無かった時代の私は、イベントでしか会えない同カプの人との逢瀬をキモイくらい待ち望んでいましたし、雑誌の文通相手募集のコーナーで同カプの人を見つけたらピラニアのように食い付いていました。今思えば、ネットが無かった時代の私の飢えっぷりは本当に凄かったです。
そんな精神状態で、ネットが普及した時に同ジャンルや同カプの人と知り合ったらどうなるかは容易に想像がつくと思います。やっと出会えた同志!本当の友達!と舞い上がって、リアルの人間関係よりもそちらに夢中になってしまいます。ですがそれは本当は、今ハマっているものに飽きたら終わってしまう儚い関係なのだということを、私は長い年月をかけて学習しました。
同人の交流は楽しいけど、そこにガチな友情を求めるのはやはり無理があると分かりました。
そもそも好きな作品が同じなだけで、人間性はまったく合わないことも珍しくありません。
趣味が違うのに友達だと言ってくれる身近な人こそが、本来の意味での友達です。
でも、その場限りのお祭り騒ぎな交流も、それはそれで愛おしいものでした。
私が現役の頃に一緒にカプ妄想でめちゃくちゃ盛り上がっていた人達は、今はもう私のことを覚えていないと思いますが、私は大事な思い出として覚えておきたいです。
その時出会った人達との、その時だけの関係、それもまた今の私の一部になっているのです。
コメント
こんばんは。Aが好きで繋がり今はBにはまっていても交流していると感じることがあります。週末ごとに会う、オンライン飲み会、もくり(同じ部屋にいる友達とお喋りできる通話・チャットアプリ)、誕生日に集まり祝ってプレゼントを渡す、フォロワー同士地域の特産品を贈る、私生活の愚痴を聞いてもらうなど見ていると友達なのかな?と思うことがあり勝手に疎外感を感じています。LINEグループなどもあります。私は近くにおらず交流もそんなにしていないのでアカウントを消したって誰も気づかないと思っています。遠征(東京)しても誰にも行くと伝えず一人行動、親戚と会って楽しく過ごしています。
>いちごさん
こんばんは。私は住所が近かった人でも会うのは数ヶ月に1度でしたので、週末ごとに会うという距離感はちょっと羨ましいです。私が現役の頃はもくりはありませんでしたが、スカイプやお絵描きチャットを使って似たようなことはしていました。
誕生日プレゼントや地域の特産品ももらったことがあります。懐かしいですね。
それでも、今はもう全員と交流が途絶えていますので、本当に友達かどうかなんて本人同士にしか分からないことです。外から見たイメージと実態は違うかもしれません。
長い目で見れば、親戚と仲良くしておいたほうが将来的にも絶対に良いと思います。
オバサンくさい考えですが、オバサンになってこれは本当にそうだなと実感しています。
はじめてコメントさせていただきます。以前SNSで悩んでいた際、偶然こちらのブログを拝見させていただき、それ以降ちょこちょこお邪魔いたしております。
私事ですが、つい最近twitterで知り合った友人(と言っていい関係性かも分かりませんでしたが)と縁が切れたので、今回のヒロコ1号さんの記事を興味深く拝見させていただきました。
「好きな作品が同じなだけで、人間性はまったく合わないことも珍しくない」
本当に、まさにそのとおりだと思います。くだんの知人に振り回され精神的にぼろぼろになったので、この言葉の意味が改めてよく理解できました。
最初のうちは楽しいんです。好きな作品に対する解釈が同じだったり、萌えポイントが同じだったりすると「ああ!この人こそ私の探し求めていたソウルメイトなのかもしれない!」と、リアルではありえないスピードで相手に対する感情が高まっていくんですよね。けれど、時間が経つにつれて真の人間性が見えてきて、それに幻滅する反面、出会った当初の楽しい思い出を忘れることもできずに、ストレスを抱えながらズルズルと関係性を続けてしまうという……。
同志と交流をしているのだから、話が合うのは当然のことです。しかし、苦い経験を経て今の私が言えることは、同ジャンルの仲間という前に、一人の人間としてどう付き合うのか、ということです。人付き合いに対する価値観が違っていると、いくら解釈が同じでも、いくら萌えポイントが同じでも、その人間関係は決して長続きすることはないと思います。それよりも、全然興味のないオタク話でも優しく聞いてくれる身近な人たちを大切にするべきだと痛感しました。
今後twitterを介した交流をすることはないと思います。今思えば、二次創作+twitter独特の距離感の近さが、色々な感覚を鈍らせる原因になっているのかな、と思ったりしました。
この場をお借りして、長々と失礼いたしました。これからも更新を楽しみにしております。
はじめまして。最近twitterをやめこのブログに辿り着きました。活動の浅い私にはとても為になる記事ばかりです。
活動という程の事はしてなかったのですが、とあるジャンルのCに元々強い思い入れがありネットで検索したらC×Aという漫画を見つけ同人というものを初めて知りました。その作家さんの描かれた作品が素晴らしく感動して感想を送ったり自分もイラストをtwitterにあげるようになりました。そこで別の方が絵を気に入ってくださり声をかけられ(別カプの方)1pでいいから合同で漫画を描いてほしいと圧され、信頼できそうな方だったので初めて原稿を描き世に出しました。(結局48p描きました)とてもいい経験でした。最初で最後の経験だったのですがその後モヤモヤしてtwitterをやめました。sns上の馴れ合いとか、(リアル友達しか知らないので)他の方のノリについていけなかったりみんなで○○さん神!とか誰にでも言い合ってたり、BLの際どい話をみんなでtwitter上で語っていて「あんたも早く本性だせ!」とか言われたり。友達になれると思ったけれどなんだかリアルな友達とは一線かニ線違うような?感じなんです。距離や感覚が分かりません。
twitter上だけで話す仲じゃなくてラインとかしたかったけどラインはやらない!とかダイレクトなやりとりは避ける。原稿もっともっとの要求と作品持ち上げはすごかったけど結局twitter上だけの語り止まりでやっぱ普通の友達とは違うのかなと違和感でした。自分は後にも先にもそのジャンルそのC以外は描きたいと思う事はないのでそのジャンルの方と仲良くしたかったのですが自分とは向き合い方が全然違うのだと気づきました。同人活動ってそれぞれなぜそのキャラにはまるかってきっと違いますよね。自分はそのCと育った環境が似ていて自分の過去のトラウマ解消に役立つのではというので描いてました。実際描く事でどす暗い過去を受け入れられる様な筋道が見えてきます。なのでよく言う萌みたいなベクトルが少し違ったかもしれません。その為SNSに垂れ流すような内容でもないので鍵付のブログにだけ作品を載せていました。他の方がどんな気持ちで描くのかは分からないですがこんな向き合い方でも続けていいのかとか原作や見てる人に失礼かなと思ってしまい躊躇してしまいます。友達作るって難しいしSNS上で天才言い合いまくってるのみると浅すぎて一体何の為に言い合んだろうこの人達は…と思ってしまいました。話がまとまらず申し訳ありません。また記事楽しみにしております。
>いにしえの腐女子さん
はじめまして。私もまったく同じような感じで「最初は同じ作品が好きで話していて楽しかったけど、後から人間性が合わないことが分かって幻滅した」相手が本当に大勢います。
というか、同人で交流していた相手は最終的に全員そうだったかもしれません。
同じ作品を好きでなければ、決して関わったりしなかったのにと思った相手もいます。
仰る通り、最初のうちは本当に楽しいので、後から嫌になってきても、楽しかった頃の思い出も忘れられないから、そこですぐに縁を切ろうとは考えられないんですよね。
同じジャンルにいるなら、それまで交流していたのに突然離れるのも難しいですし。
ツイッターの交流も、結局そういう流れでストレスを抱えている人が多いと思います。
人付き合いに対する価値観が違っていると、本当に無理ですね。
それこそ、同ジャンルの萌え語りをやり尽くしたら用無しになってしまいます。
一方で、全然興味のないオタク話でも優しく聞いてくれるリアル友達や家族はかけがえのない存在です。私はそのことに気付くのがちょっと遅かったので、心から反省しています。
ツイッターはそもそも距離感が狂ってしまいがちなツールですが、仲間に飢えているオタクがそれを使うとさらに弊害がありそうです。最初は楽しいから、リアルを捨ててでも没頭してしまい、本当に大切なことに気付いた時には心はボロボロというパターンが多そうです。
私もツイッターをしていた頃は、いろいろおかしかったなと自覚しています。
>DPさん
はじめまして。そもそもツイッターのノリ自体について行けない人もいますよね。
私は、ツイッターが無かった時代からネットでの交流には慣れていました。
大好きな大手さんのことは神と呼んでいましたし、際どい話もしましたし、萌えの方向性も分かりやすいものでしたので、DPさんのような悩みはありませんでした。
それでも、ツイッターを数年使ったら「このツールだけは無い」と思ったので、最初から合わない人はどれほどの苦しみを味わうのかと心配してしまいます。
気軽に神と言う人は「ちょっと好き」程度でも神と言います。DPさんとは「神」のハードルが違うだけですので、あまり深く考えないことをオススメします。
同人の交流は、リアル友達との交流とはまったくの別物として楽しむものです。
原稿や作品は求めるけど、同人から離れた個人的な付き合いは求めていない人が一番多いのではないかと思います。だからこそ、ジャンルを離れたら後腐れなく別れられるという気楽さもあると言えます。殆どの人はいつまでも同じジャンルにはとどまっていないので。
作品への向き合い方は自由なので、DPさんはDPさんのやり方で続けて欲しいです。
同人の解釈や活動方法なんて「よそはよそ、うちはうち」なのですが、そこで悩む人がいるのは不思議だなと思います。ツイッターをやめたのなら、合わない人達とは接触せずに落ち着いて活動することができますし、見ている人で応援してくれている人もいるはずです。
はじめてコメントさせていただきます、twitterをやめる前ごろにこちらのブログ様を発見しましてお陰様で踏ん切りついて今はのびのびブログをやっている者です。
ブログの方が年月が長くなりノンストレスで好きなものを(いわゆる二次でなくても)綴れる楽しさ&残せる楽しさを味わっています。無名の一般人ですしアクセスが沢山来るわけでもコメントが来ている訳でもないですが好きな気持ちを自分なりにアレコレ時間をかけて形に出来ている幸せがあります。
twitterでのいいねとかリツイートは結局のところストレスになりますね。監視されている居心地の悪さがあったというか、ヒロコさんがおっしゃった真綿で首を締められているとの表現は的確ですね。
やめた理由は原作は漫画のソシャゲが終わり自分も忙しくなるという今にして思えば本当に良いタイミングでした。残っていれば声が大きくて一見正論を吐いていて取り繕っていても裏では自分の気に入らない作品徹底的に叩いてアンチ活動していたりダブスタで制作者の応援はこれが正義!あ、でも私が嫌いな奴は以下略とかまってちゃんだったり(そうした人に限って浮上が多くて強い言葉ばかり使いますね…タイムラインは始めた当初からほとんど観ず)ちょっと前に自分がつぶやいたことやキレ散らかしたことさえ忘れて実際何も考えていない“他人”にストレスどころか傷ついていたでしょう。
ヒロコさんが綴って下さった体験談にも感謝致します。
自分はフォローしている人はその作品が好きでフォローしているんだろうだから内容に触れるものだけやろうとツイートも少なく(腐でもなければcp厨でもない考察寄り)そうした意味では悪意のあるリプとかは来なくて平和なままやめられました。今は公式だけ観てのびのびとマイペースで楽しんでいます。SNSで友人を作る予定もなかったのでリアルの付き合いはやっている時も大事にしていてそうした意味でも良かったのだと思います。同人活動とかは特にやったことはないですが(偶に二次で文を書くのが好きでやるくらい)距離感とか書かれているアドバイスは来ている方の為にもなっていると思います。ヒロコさんものびのびと好きなものも語っていってくださいね、応援しています。
>つきんさん
はじめまして。ツイッターのいいねやリツイートって、多くもらってもそれはそれで嫌な影響がありますよね。フォロワーの数は支持者の数ではなく、自分に向けられている銃口の数とはよく言ったものです。無論、ブログのアクセス数も、数字が外に見えていないだけで同じことなのですが、その「外に見えていない」という点がものすごく重要な気がします。
ツイッターはよほど冷静さを保つことを心がけていないと、後で自分でも後悔するような発言をウッカリしてしまいやすい仕組みになっています。つきんさんの仰るような、ツイッターによくいる感じの人達も、ツイッターから引き離して数ヶ月程デトックスすれば「どうしてあんなことを書いてしまったんだろう?」と我に返る人も結構いるのではないかと思います。
私自身わりと黒歴史があって、紆余曲折あって今は憑き物が落ちたという感じです。
なので、今イキッている人の心理も、途中で気が付いてツイートを控えるようになった人の心理も、どちらもよく分かります。途中から冷静になる人もちゃんといますので、逆にいつまで経っても浮上が多くて強い言葉を使い続ける人は、本当にヤバイという目印になります。
私の今のブログは「好きなものを語る」のとは少し違うかもしれません。
同人をしていた頃のように、妄想のままに語りまくることはもうできませんので、自分が楽しいと言うよりは、読んだ人に何かを伝えられればという気持ちで書いています。
でも読む側がどう捉えるかは自由です。何かのお役に立てていれば幸いです。
管理人さま
ご丁寧な返信ありがとうございました。
そして同人初心者の私にも分かりやすいアドバイスと大変為になるお言葉ありがとうございました。TLは元々1ヶ月に1度程度しか開いてなかったのでそこまで思入れはなかったですがやめてから、フォロワーさんがあんた勝手にやめやがって!と連絡がきました。気にかけてくれる人がいるのはありがたい事でしたが会ったことがないのに言葉遣いが…☺︎と前から気になっていた事ですがヒロコさんからの返信で「リアル友達とは別物」というのでなるほどだからかと思いました!twitterでは私の呟いたネタや絵が勝手に自分のいない所で使われていたりが頻繁にあったのでその辺りのモラルも気になっていました。リアル垢など他2つ程アカウントは持っているのですがそこではストレスはあまり感じておらず、開く頻度は一番低いこのアカウントだけは女性特有の構ってほしい喋り続ける声の大きい人だけの興味のないTLが流れていたのがしんどくて早い段階でやめられてよかったです。楽しい良い思い出だけを胸に自由にやっていきたいと思います!ありがとうございました。
>DPさん
お役に立てたようで良かったです。おそらくですが、ツイッターにいた人達は、DPさんのネタや絵を勝手に使ったり原稿を出させることが目的で、DPさんも大人しくて何も言い返さないから利用されていたのではという印象を受けました。それだけDPさんの作品が魅力的なのだと思いますが、これはジャンルの民度自体も、他ジャンルより相当悪いと言えます。
やめた時の連絡も、いくら馴れ馴れしい人でも「あんた勝手にやめやがって!」はさすがに無いです。相手はDPさんのことを下に見てバカにしているとしか思えません。ネタや絵を使えなくなって怒っているのでしょうね。同人女性の界隈は確かに独特ですが、DPさんが出会った人達はかなりタチが悪いほうなので、さすがにこれが標準だとは思わないで欲しいです。
今回は不運でしたが、無事に逃げられたのなら今後は楽しくやってくださいね。
ヒロコ1号さんへ
先日は丁寧な返信ありがとうございました!Twitterが冷静さを保つのが難しいツールなのはおっしゃる通り、暴言罵倒をエンターする前に発言が公に見られる、その先に相手がいるのだと考えることもせずノイズの塊となるからこそ炎上も起きるのだとそう思います。私は出した以上は目に入る人がいるのだと意識はしていたので平和だったのかな?と。言葉遣いも気を使っていたので。元々長文書きがちで考察が目的な自分にとっても限界も見え、真面目な考察や感想打ってもRT先ですぐ忘れ去られふざけたネタにされた悲しさもあり…勝手に漫画のコマ使って大喜利やっていたりと傍目からみていて変だなと思う人が集まっているコミュニティは近寄らない方が吉ですね。
ブログでは後からまた記事を見直して新しい情報を連鎖して繋げたり、文をもっと読みやすく見やすく出来たりとつくっていける楽しさも加わってはるかにやりがいを感じています。twitterでは情報を見るだけでしたがこちらでは自ら調べる事が増えてその都度発見があり感謝を伝える機会も増えました。
浮上と声が大きい人は前もってやめるとお知らせをし当日もお別れも伝えたのに最後まで口と態度は悪かったですね、twitter歴がその人は長いようでヒロコさんが言われる“ヤバイ”人だったのでしょう。twitter辞めた後わけあってその原作への愛は私も無くなり離れ縁も切れたのでもう気にしないことにしています。
お別れを言ってくれたり、それまで知らなかったアーティストさんの曲をおススメしたら気に入って買ってくれたりと良い方もいらっしゃいました。楽しい思い出はそのまま残してどこで自分がどうありたいのかしっかりと決められる人でやっていきます。
ノイズの塊の人と遭遇して、プロや公式で発売している媒体はそうしたノイズを排除してうまくファンとの距離やヒロコさんのおっしゃる数字として見えていない部分のバランスも取っている作品が長続きして愛されていくのだと気づけました。煩わしい人は昔から一定数いたと思いますがそれが数字と共に可視化されてしまう最大公約数のツールがtwitterなのでしょう、声が大きい人が使いやすく反応もすぐ来るから調子に乗ってしまうというか。
ヒロコさんのブログは確かに誰かに届ける為を意識されていますね、コメントされている人以外に助けられている方が多くいらっしゃると思います。
展覧会やコンビニスイーツ等は好きで書いておられるのかな?と感じたのでそちらの方も応援しています。長々とすみません、改めてありがとうございました。
>つきんさん
ツイートする前に少しでも自分の文章を見直して考えられる人なら、大きな失敗はしないと思いますが、そういう慎重さが求められるツイッターの中に、それが出来ない人が大量にいるから地獄なのです。真面目な考察をツイッターでやるのは文字数的にも無理がありますね。
考察以外でも、ツイッターの文字数で、伝えたいことを完璧に誤解の無いように伝えるにはかなりの文章力が必要です。でもその文章力が無い人が中途半端な書き込みをして、本人が本当に言いたいことが正しく伝わらないまま叩かれたり弄られたりする光景も、私は何度も見てきました。自分に関係が無いことでも、私はこれを見ているだけで頭が痛かったです。
問題が無かった人も、できればツイッター以外の場所で出会いたかったです。ブログは追記したいことができれば記事を書き直して、少しずつ育てていく感覚が楽しいですよね。
展覧会やコンビニは、コロナ以降は生活がかなり変わって滅多に行かなくなったので、今はカテゴリを残してあるだけという感じですが、読んで頂けたなら有難いです。
ヒロコ1号さん、こんにちは。
「同人仲間は友達とは少し違う」という話は、以前コメントの返信で書いていただいて、ためになった言葉です。
寂しさの感情が和らぐまでには2年くらいかかりましたが、繰り返し自分に言い聞かせることで、少し冷静になれました。
私は引退を経験して「物事には必ず終わりがある」ということを実感しました。仮に永遠に続くものがあっても、それを見ている自分の命は有限なので、やっぱり「必ず終わりがある」と思います。
だから同人趣味にしても、同人仲間にしても、終わってしまうのは仕方ないのですが、不幸なのは「終わりが来る」ことではなく「後味の悪い終わり方になる」ことだと、思うようになりました。
最後のジャンルでの同人仲間はTwitterで繋がっていたので、程度の差はあっても何かしら印象の悪い思い出で終わり、残念に思っています。
それに比べると、個人サイト時代に縁が切れた仲間は、今も楽しく思い出せます。もし再会したら、きっとお互い懐かしさと好感しかないです。
昔インターネットが普及し始めた頃は、情報収集も交流も便利になって嬉しかったですが、SNS時代は「知りすぎてしまう不幸」があるんじゃないかと思っています。
引退までの数年間、趣味のはずの同人活動でストレスの比重が増えていることに悩んでいたのですが、今思い返すと、自分が傷ついたり腹を立てたりしたことは「知らなくてよいこと」や「知らない方がよいこと」が結構あったと思います。
>引退した者ですさん
こんにちは。そうですね、私も同人を引退したことで「物事には必ず終わりがある」と実感しました。それ以前は、ジャンル移動でお別れになる人がいたとしても、自分の同人に対する情熱そのものは消えないと信じていたので、そういった無常観はありませんでした。
でも、そこまで強いと信じていた情熱があっさり消えたことで、考えが変わりました。
そして仰る通り、同人仲間との仲が終わるのは仕方が無いとしても、後味の悪い終わり方になるのはとてもつらいですよね。ツイッターだと、別れる時はだいたい相手の印象が悪い状態で終わっていましたが、個人サイトだとそんなことは無かったのが不思議です。
私も、ツイッターが無かった頃に縁が切れた人に対しては、悪い印象はあまり無いです。
ツイッターにいた人達に抱いた悪印象はもう決して覆らないけど、自分の同人活動そのものを後味悪く終わらせるのは絶対に嫌だと思い、私はツイッターをやめて活動を続けました。
おかげで、最後はわりと平和的に引退することができました。情熱が消えて引退することになったという点はショックでしたが、それ以外のストレスは無かったので良かったです。
インターネットに初めて触れた時は本当に感動してのめり込みましたし、個人サイト時代もとても楽しかったけど、SNSは嫌なことも見えすぎてしまってダメでしたね。
先日、現役時代にツイッターで相互フォローしていた人が、現在ツイ〇ェミに変貌していることを知ってガックリ来ました。本当に知りたくありませんでした。
こんにちは。度重なるコメントで失礼します。返信を拝見して、また色々考えていました。
私には、個人サイト時代から15年以上付き合いのあった同人仲間がいました。ジャンル移動した時も、活動休止した時も(私は現役期間に、しばらく活動休止していた時期があります)関係が続いていたので、友人に近い存在だと思っていました。
ところがコロナ禍になり、イベント中止のストレスや寂しさからか、彼女は以前よりTwitterに入り浸るようになりました。少し心配だなと思いながら見守っていたのですが、案の定、彼女は「Twitterによくいる感じの人」に変貌していきました。知りたくなかった姿でした。
縁が切れた時はとても虚しかったし、彼女の最後の姿は忘れません。でも約15年間の良い思い出と、最後の1~2年の悪い思い出を天秤にかけたら、私は良い思い出の方を心に残しておきたいと思いました。
どうせ「物事には必ず終わりがある」のだから、思い出の数は自分が生きた証、人生の豊かさなのかもしれないと思ったからです。
だから私は、ヒロコさんのこの記事の最後の部分が好きです。私の元同人仲間も、今は私のことなんて気にもかけてないだろうけど、私は大切な思い出として、自分の一部として、覚えておきたいです。
>引退した者ですさん
こんにちは。私も、ジャンル移動しても交流が途切れずに長年付き合っていた人が、ツイッターを使うようになってからおかしくなってしまって、嫌いになって別れたパターンがいくつかありました。それにしても「ツイッターによくいる感じの人」と聞いて、すぐに「ああいう感じですね!分かります!」と即座に理解できてしまうのが、何とも悲しいです。
私はコロナ禍の頃には既に引退していたので、イベント中止に対してストレスを感じることもありませんでしたが、もし現役の頃にコロナ禍のような状況になったら、やり場の無い不満を感じただろうと思います。それでも、ツイッターが無ければ変になってしまう人はいなかったのではと考えると、もう自分には関係の無いことなのにとても悔しいです。
15年以上交流した人がそんなことになってしまったのは、本当につらいですね。
でも私も、たとえ相手がもう私のことを覚えていなくても、相手自身も別人のように変わってしまったとしても、楽しかった頃の思い出を忘れないようにしたいです。
私の場合は、変わったと言うなら私のほうも別人みたいになりましたのでお互い様です。
こんにちは。今まさに、相手方のジャンル移動による縁の切れ目が突然に訪れ、驚きとショックを受けている者です。こちらのブログを読ませていただき、少し冷静さを取り戻しました。
自分より面白くて素敵な作品を作る方から声を掛けていただき、完全に舞い上がり、リアルよりその方との交流を大切にしていました。今思うと、異常というか、依存というか、やっぱり少しおかしくなってたと思います。でもやっぱり、その時感じた喜びや感動、楽しさは、なかなか他では味わえないものでした。まだ同人歴の浅い自分にとって、「ジャンルが変われば交流もあっさり途絶える」「そこにガチな友情を求めるのは無理がある」という文面に、今の状況が腑に落ちたというか…なんだかひどく安心しました。
交流していく中で、あれ?と思う事はしばしばありました。やりとりの熱量がその時その時で変わったり、気づくと相手が自分の事ばかり話していたり。彼女には、オタクだから気分の浮き沈みが激しくても仕方ない、オタクだから約束にルーズでも仕方ない、みたいな節があり、それって違うんじゃないかな?と思います。うまく言葉に出来ませんが…
最後は「交流ややりとりはこれで終わりになります」と送られてきて、唖然としました。
個人的な事を書き連ねて申し訳ありません。今後前向きに創作していきたいから、こちらで吐き出させていただきました。
ヒロコさんのブログ、本当に参考になります。文面のひとつひとつから、飾らないお人柄が伝わってきて、勝手に親近感を覚えます。このようなブログを書いてくださり、ありがとうございます。
>背番号10さん
こんにちは。私の場合は、ハッキリと「これで終わりになります」と宣言されたことはありませんでしたが、ジャンル移動すれば自然に疎遠になっていくことが多かったです。
共通の話題で盛り上がれる間は、間違いなく他の人といるよりもその人といるほうが楽しいのですが、ジャンル熱が冷めれば相手への興味も同時に失ってしまいました。
双方向の交流だけでなく、一方的に神扱いしていた大手さんに対しても、別ジャンルに移動した途端すぐに冷めてしまったので、そんな経験を重ねていくうちに、この記事のような考えに辿り着きました。中には、同人で出会って本当の友達に発展するケースもありますが、かなりのレアケースだと思いますし、私はそういう相手には出会えませんでした。
私も、好きなジャンルは同じだけど人間的には合わない人に対して、言葉にできないモヤモヤを感じたことがあります。でもジャンルにいる間は、あれ?と思うことがあってもそれで縁を切ろうとまでは思わなくて、ジャンル移動して繋がりが途切れたあとで、不満や恨みが具体的に言語化されていきました。個人的にはオタク関係なくルーズな人はお断りですね。
交流はしなくても創作はできますので、今後は交流をしないと決めてもかまいませんし、する場合もあまり相手に依存しすぎないように気を付ければ同じ失敗はしないはずです。つらい記憶は封印して、楽しかった部分だけを良い思い出として覚えておけばいいと思います。