同人活動の思い出

同人活動の思い出/自分の交流って意外と受け身だった?と今さら気付いた話

私は幼い頃から二次元オタクでしたが、高校に入るまでは、二次元作品について自分と同じ熱量で語り合える相手がいませんでした。中学時代までは周囲に非オタクしかいなくて、その上ネットも無かったので、オタク同士の交流に本当に本当に本当に飢えていました。
これは、小さい頃からネット環境があった人には分からない飢えと孤独かもしれません。

なので、同人の世界を知って、さらにその数年後にネットが普及すると、子供の頃の飢えの反動が一気に来ました。同人界隈には交流に興味が無い人もいますが、当時の私にはその心情はまったく理解できませんでした。同じ作品やキャラに萌えているオタクが、私の見える範囲に存在していて、交流する方法もあるのです。もう突撃するしかありませんでした。

まずは自分の作品を一定数出してから、好みの作品を作る人に感想を送ります。
そうすれば確実に、交流したいと思った相手と仲良くなることができました。
絵も文もドヘタレな私が、受け入れてもらえた理由については…

キャラやカプの解釈は界隈内でウケやすいものだった。
更新頻度が高くて安定している。
締め切りなどの約束事は絶対に守るし、メッセージの返事も早い。
すぐに飽きてジャンル移動したりせず、長く居てくれそうな雰囲気がある。

…といったところかなと自己分析しています。これらは全部、上手さとは関係無い部分なので、下手だけどジャンル内で大事にされたいという人は参考にしてみてください。

で、子供の頃にそんなに交流に飢えていたのなら、さぞかし交流のためにいろいろなことをしたのだろうと思われそうですが、冷静に振り返ると、私は「同ジャンルの人達と一緒にいられる」状況だけに満足して、それ以上は特に何もしていませんでした。

アンソロやイベントの主催もしたことがありませんし、食事や遊びに行く時もいつも相手から誘ってもらっていて、自分から他の人を誘ったことはあまり無かったです。オフ会も、あれば参加したいと思っていたけど、自分が幹事をしたことはありませんでした。自分から動いたのは最初に界隈に入る時だけで、企画やオフ会などは他の人に誘われて付いていくだけでした。

当時は自分で気付いていなかったのですが、今になって気付いて、自分でも「何だコイツ」と思っています。これなら、積極的にいろいろ企画して私のことも誘ってくれていた人のほうが、本当の交流好きと言えます。飢えていたんじゃなかったのか?やる気あんのか?という感じです。

そうして受け身ながらも交流を楽しんでいた私でしたが、ツイッターの民度にガチギレしてからは一転して交流に興味が無くなり、壁打ちに転向することになりました。
二次元の闇堕ちキャラみたいな反転ぶりで、今考えるとちょっと面白いです。

この頃の私は、ツイッターもピクシブも退会して個人サイトに引きこもっていて、お世辞にも愛想が良い感じではありませんでした。それでもメールで感想をくれたり、イベントで話しかけてくれる人がいたのは、本当に有難いことでした。

昔の私は交流を望んでいたから、相手も付き合ってくれたのだと思っていましたが、壁打ちになっても向こうから好意的に接してくれることがあると知って驚きました。
私が交流を望んでいてもいなくても、人との関わりが完全に断たれることは無いのかもしれないと気付きました。このブログをやっている今の私も、そうかもしれません。

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