同人活動の思い出

同人活動の思い出/同人活動における「壁打ち」の定義

ビジネス用語としての「壁打ち」は「他の人に話を聞いてもらって考えを整理すること」という意味だそうですが、私はそれ「壁」じゃなくね???としか思えなくて全然受け入れられません。
その点、同人活動の「壁打ち」は言葉のイメージ通りで大変しっくりくると思っていたけど、同人活動の「壁打ち」も人によって解釈が違うことがあるみたいです。

私は個人サイト全盛期の頃までは交流が好きでしたが、SNS疲れを経験した後は「壁打ち」になりました。当時私が自称していた「壁打ち」とは、特定の人と仲良くすることは無いけど、感想を貰ったり他の人の作品を見たりはするという意味でした。でも、他の人の作品も見ないで感想も受け付けないのが本当の「壁打ち」だと考える人もいるようです。

私は、確かにSNSのせいで交流には嫌気がさしていましたが、同じジャンルの人達の作品は見たいと思っていましたし、自分の作品に対する感想も貰えたら嬉しいと思っていました。

特に感想は、送ってくれる人をこちらでコントロールするのは不可能です。
たとえ「感想いりません!絶対に送ってこないでください!」と言っていたとしても、活動していれば何だかんだで感想は来る可能性があります。一方的に感想を貰うことも「交流」にカウントされてしまうのなら、本当の「壁打ち」になるのは難しくないか?と思います。

私は、自分から他の人に話しかけないことを「壁打ち」だと思っていて、それでも向こうから私に話しかけてくれた時は、無理に拒否する必要は無いという考えでした。

ただ、私の同人生活最後の原稿は、過去ジャンルで交流していた人から依頼されたアンソロ原稿でしたので、そこは「壁…打ち…?」となるかもしれません。でもこれは、交流をやめる以前は二十年ほどいろいろなジャンルで交流してきたわけですから、その積み重ねの縁というものです。

私が最初から交流に興味が無かったら、こんなことは無かったでしょうし、そもそもSNSに手を出さなかったはずです。私は同じジャンルの人達と交流したかったから、SNSが出てきた時に当時の知り合い達と一緒に始めたのです。交流するつもりが無いのなら、最初からSNSは不要でした。

ところで、交流が好きだった頃の私は、交流に興味が無さそうな「壁打ち」の人に対しては、少し寂しいと思いつつも無理に話しかけずに作品だけ楽しませてもらっていました。
その「壁打ち」の人が上手い人だと、界隈の誰もその人と交流していないのに、その人の本はみんな買っているという状況になっていてカッコイイと思っていました。

昔の私は、交流しない人の気持ちが理解できませんでしたが、SNSのおかげ(?)で「壁打ち」の道を選ぶ人の気持ちも分かるようになりました。今の私も「壁打ち」だと思います。
そもそも今は「同じジャンルの人」がいないので、もう交流したくてもできないのです。

コメント

  1. ゴンザレス より:

    ヒロコさんこんばんは。

    感想をもらうことも交流に含まれるという考えは初めて聞きました。その認識だとこの時代に壁打ちと認定できる人はかなり少ないでしょうね。

    壁打ちをしてるとたまに誰かと交流したいなと思うこともあるのですが、ツイッターで自ジャンルがトレンドに乗る時が大抵キャラクターに対する下品なワードで、それを見るたびに壁打ちで良かったと再確認しています。

    不快さと寂しさを天秤にかけた結果、私は寂しさをとって壁打ちを選びました。
    時代が違えばもう少しSNSでの交流を楽しめたのかな、とも思いますが、ツイッター黎明期の時も壁打ちの方はいらっしゃったと思うので、結果は同じだったかもしれませんね。

  2. ヒロコ1号 より:

    >ゴンザレスさん
    こんばんは。周囲を一切見ずに自分の創作だけに集中して、他人からの感想も不要という人も確かに存在しますが、そういう態度でも意外と感想は来るというのは、私が壁打ちをやっていた時や同人を引退した後も実感していることです。個人的には大変有難いと思っています。

    SNSでよくある下品な盛り上がり方は、私は実はわりと平気なほうでした。
    私はそれとは別のことで不快感を抱いてSNSから離れましたが、まあ今振り返れば、トレンドに乗っていたような下品なワードも、合わない人にとっては苦痛でしょうね。

    ノリが合わない人と無理に交流しても後悔しますので、違和感が強いなら壁打ちを選んだほうがいいと思います。ただ、SNSが普及してから増えてきたようなタイプの人達って、昔はあまり見かけなかった気がします。時代が違えば交流を楽しめたかもしれない人も、実はいるかもしれません。

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