同人活動の思い出/一時期本名で同人活動していたことがあったけど特に何も起こらなかったという話

実は私は、2000年前後あたりに本名で同人活動をしていた時期がありました。
堂々とフルネームを名乗って、二次創作もエロも描いてサイトもやっていました。

そもそも当時の同人誌は、普通に奥付に住所と本名を載せていました。一部の超大手さんだけが郵便局留を利用して、自宅住所を公開せずに活動していましたが、それは選ばれし者の話です。
雑誌の同人誌紹介コーナーに採用されれば、普通に住所と本名が雑誌に載せられました。
そこで私は、それなら本名で活動しても問題無いのでは?と判断したのです。

実際、私の場合は、本名で活動したせいでトラブルに遭ったことはありませんでした。でも次のジャンルに移動する時は、なんとなくの気まぐれで再びペンネームを使うようになりました。
まだ色々とユルかった時代の、ほんの数年間の話です。

私の本名はとても平凡で、名前だけでは特定できないから無事だったのかもしれません。
今の若い人のような唯一無二のキラキラネームだと、本名を出しただけで特定されそうですね。

ですが、サイトには名前しか載せていなくても、同人誌の奥付には住所も載せています。
自家通販の問い合わせのメールが来れば、返信する際にこちらの住所を教えていました。
現在の個人情報の取り扱いの常識から考えれば、やはりヤバすぎます。

思い出せば思い出すほど、昔はユルかったなあと驚いてしまいます。
いつから今みたいに厳しく、息苦しくなってしまったのでしょうか?

考えてみたのですが、昔はユルくても大丈夫だった理由のひとつに、オタク趣味は隠れてやるものだという暗黙の了解が定着していたからというのもある気がします。

同人誌には住所と本名を載せていたけれど、隠された趣味ゆえに、それを悪用するような人の手に渡る可能性も低かったと思います。同人サイトはネット上にあるので、誰に見られるか分からないものではありますが、それでも同人の知識がまったく無い人が迷い込む確率はとても低いはずです。

昔のオタクの世界は「分かっている人達」だけが集まる安全な場所だったと私は思います。
それに比べて今は、何のせいとは言いませんが、オタクもそれ以外も住み分けできずに混ざり合った地獄のようなインターネットが誕生してしまいました。

カップリング妄想なども、まったく免疫が無い人の目にも入ってしまうせいで、昔とは違う叩かれ方をしている気がします。昔はカプ関連の叩きと言えば解釈違いや逆カプなどでしたが、今は「カプとか妄想すること自体が理解できない」「カプ厨●ね」とキレている人も見かけます。

いやいや、二次創作妄想ってのは「そういうもん」だろ?お前なんでここにいるの?と言いたくなりますが…「そういうもん」を理解できない人がその話題で盛り上がっている場所に迷い込んでしまうような、住み分けのできていない状態に問題があるんですよね。お互いに不幸なことです。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

コメント

  1. 匿名希望です より:

    平成はニコニコ動画が出てきたときから手描きMADなどが流行りました。それからヲタク趣味のあるイラストや動画が世に放たれたのだと思います。
    それまではヲタク趣味の人はピクシブや個人サイトで賑わっている印象を受けました。

    私みたいな小説書く人間は絵を描ける人に比べると目立たず日陰にいる存在ので、逆にツイッターをやっていると、需要が無いのにわざわざアカウント作って存在意義を主張して何の意味があるの?って思われてたんだろうなぁ。

    字書きは魔法のiらんどや小説家になろうとかの小説サイトの住民ですから。
    冒険して小説サイトの外に出ても失敗して痛い思いをするという事はよく分かりました。

  2. ヒロコ1号 より:

    >匿名希望さん
    ニコニコ動画の影響は確かに大きいでしょうね。ピクシブは利用者はほぼオタクだと思いますが、ピクシブに投稿された絵は画像検索に引っかかって一般の人にも見られてしまうし、それを問題視していた人もいたので、その頃から空気が変わってきたような気がします。

    そもそも、ツイッターはオタク専用のツールではありません。
    ツイッターにはオタクが嫌いな人もいますし、二次創作が理解できない人も普通にいます。
    そんな所を同人活動の拠点にするのは危険だし気味が悪いというのが、今の私の考えです。

    アイコンだけアニメのイラスト(無断転載)で、呟きはオタク趣味とは関係無い変なものばかりという人もたくさん現れてきて、ツイッターを退会する時はなんて悲しい時代になったのだろうと思いました。あそこに私の求める「オタク仲間」は居ないと絶望しました。
    今はもう何も求めていないので、とても気持ちがラクになりました。