昔から「ネット上のやり取りは顔が見えなくて文字だけなので、文章表現には気を付けよう」などとよく言われますが、確かに、表情や声色など一切無しで文章だけで伝える場合、うまく書かないと自分の気持ちが正確に伝わらなかったり、悪く解釈されて誤解される可能性があります。
実際のところ、サイトの日記やブログも、メールも、掲示板やSNSの書き込みも、リアルの会話の何倍も気を使わないと、自分の意図を正確には伝えられません。なのに、何も考えずに不完全な文章を垂れ流すツイッターが流行ったりしたら、地獄絵図になるのは当然のことです。
私は、ネットで知り合った人とイベントやオフ会で会うことも多かったのですが、ネット上の印象だけで判断しなくて良かった(直接会って良かった)と思った相手も何人かいました。
昔ツイッターをやっていた頃、自カプのオフ会に、普段からツイートが攻撃的で怖いと思っていた人も来ることになりました。その人は作風も猟奇的で、ツイッターが無かった時代には見かけなかったタイプだったので、とにかくまともに話ができるのか不安でした。
でも当日会ってみたら普通に礼儀正しくて、おそらく平均以上に真面目な人でした。
オタクの中には変なテンションで会話不可能な人がたまにいますが、その人はまったくそんなことは無くて、作品は尖っているけどリアルの本人はとても落ち着いていました。ツイッターの文章をもう少し考えて整えれば、そういう作風のカッコイイ人という感じになりそうだなと思いました。
もう1人記憶に残っているのは、またもやツイッターで繋がっていた読み専の人です。
ツイッターにおける超絶クソどうでもいい書き込みの筆頭である「おはよう」「おやすみ」「おなかすいた」は標準装備で、自カプの作品は何を見ても褒めるという八方美人っぷりでした。
私が地雷だと思うものもその人は褒めるので、そんな人に自分の作品を褒められても正直嬉しくありません。オフ会で会うことになった時も、どんな脳内お花畑が来るのやらと思っていました。
でも当日会ってみたらとても善良な人で、おそらく私の1億倍は心の優しい人でした。
それが分かると、文字だけで見たらクッソ無意味に見える挨拶ツイートや馴れ合いツイートも、本人の人懐っこい性格や気配りによるものだと思えるようになりました。本人の声で聞くとほっこりする言葉が、文字で見ると頭が悪そうに見えるのは、まさに飾らずに書いているからなのでしょう。
ツイッターの文章をもう少し考えて整えれば、一気に聖人に見えそうだなと思いました。
素人が何も考えずにネットに書き込む文章では、その人の良さや本心がきちんと伝わらない場合があるのは確かです。オフ会で会って悪くない人だと分かったとしても、伝達不足なツイッターの文章はその後も毎日目に入ってくるわけで、それはやはりストレスでしかありません。
なので、どちらにしろツイッターはダメだという結論になり退会しました。
ネット上とリアルでギャップのある人はツイッターが無かった時代にもいましたが、ツイッターは特に文章に気を付けないと、知らないうちに自分のイメージを悪くしてしまうことが多いです。
ちなみに、ネット上では良い人に見えるのに実際はクズじゃねーかという人も存在しますが、あれは本人はきちんと計算した上で文章を書いていますので、何も問題はありません。