同人活動の思い出/ミクシィには手を出さなかったのに、なぜツイッターには手を出してしまったのか?

ミクシィ(mixi)は、2004年2月にサービスを開始したSNSで、現在も存続しています。

現在のツイッターと同じように、オタク専用のサービスではないけど同人の交流にも使われることがあり、私が2004~2005年頃にハマっていたジャンルでも、ミクシィでグループを作っていた人達がいました。今でも普通に使っている人もいるみたいです。

私は当時、ミクシィにはまったく魅力を感じませんでした。ミクシィの特徴と言えば…

既に入会済のユーザーから招待されないと登録できない完全招待制!(今は違いますが、サービス開始当初は招待制でした) マイミク機能! 誰がいつ見に来たかが分かる足あと機能!

ウゼェェエェエエェェェ!!!!!!
これ絶対あとで面倒くさくなるヤツだろ!ストレスたまるに決まってるだろ!
あと、サイトがあるんだからこんなサービス別に要らないだろ!

…と思った私は、誘われても絶対にミクシィには登録しませんでした。

ここで、ミクシィはやらなかったのに、なぜツイッターはやってしまったのか?という疑問が生じてきます。今思えば、私の人生における最大のミステリーかもしれません。
ミクシィのシステムを聞いた時、私は確かに「これストレスたまるヤツや!」と感じて、やらないと決めたのです。なのに何故、ツイッターは楽しそうと思ってしまったのでしょうか?

私は、ミクシィのことは「身内の馴れ合い」というイメージを持って見下していました。

招待制という時点で「何かを発信しても身内にしか見てもらえない」と思っていましたし、足あと機能は見に来た人に反応を強要しているようで嫌だと思っていました。
マイミクになったりジャンルのコミュニティに入るのも、最初はいいけどジャンル移動したくなった時はどうするんだ!死ぬほど気まずいだろ!とツッコミを入れていました。

そんな心労は経験したくないし、マイミクや足あとで相手を拘束しなくても、作品だけで勝負して感想をもらえるからいいですと考えた私は、ミクシィには見向きもしませんでした。

でもツイッターは、ミクシィよりも不特定多数の人と繋がれて、交流にも宣伝にも役立つように見えてしまったのです。ツイッターだって、フォローフォロワーの関係に神経をすり減らされたり、予告無く地雷が流れてきたり、いいねやリツイートの数に踊らされたりと、少し考えれば簡単にデメリットが想像できたはずなのに、私はそれには気付けなかったのです。

ミクシィにも「ミクシィ疲れ」というものがあり、関わり方を間違えるとツイッターと同じように病んでしまいます。ミクシィとツイッターの害は似たようなものだと思われます。
今ならそれが分かるのに、当時の私はなぜツイッターをしてしまったのでしょうか?

どう考えても脳をやられていたとしか思えませんが、とにかく私は、ミクシィ疲れは回避できたのにツイッター疲れは回避できなかったのです。ツイッターをやめた今でも本当に謎です。

当時はとても流行っていたミクシィですが、今は正直廃れたと思います。だからツイッターもいつかは終わると信じていますが、もし他の新しいSNSが出てきたとしても、私はやりたくありません。
ストレスのたまらないSNSを作ることは、果たして可能なのでしょうか?

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする