これは、2013年夏のインテックス大阪でのイベントの話です。
今は改善されているかもしれませんが、当時はインテックス大阪の4号館と言えば、夏場は冷房が効きにくくとても暑かったです。
この日、私は運悪く4号館に配置され、朝、隣のスペースにいた人に挨拶をしました。
私「おはようございます」
隣の人「はい、よろしくお願いします。私はサークル主じゃなくて売り子なんですが」
私「ああ、売り子さんでしたか」
隣の人「今日は友達が2スペース取ってて、私はこっちの売り子を任されたんです」
私「そうだったんですか」
隣の人「ここめちゃくちゃ暑いですね」
私「インテックスの4号館はいつも暑いですよ」
隣の人「え、そうなんですか?私はインテックス初めてで…友達はいつも参加してるけど…」
私「(・∀・)」
それはアレだ!押し付けられたんだよ!クソ暑いほうのスペースをな!
実際あの日は本当に暑くて、ネッククーラーと差し入れのジュースが無ければ死んでいたかもしれません。ちなみに隣のサークル主は私も知っている人でした(売り子さんには黙っていました)が、いかにもさりげなくクソ暑いスペースを押し付けそうな人でした。
それはそうと、当時の私は既に、売り子にしても相方にしても、自分の同人活動に他人を入れることには懐疑的になっていました。
若い頃はまだ交流に夢を見ていたので、他の人と一緒にスペースを取ったり一緒に本を作ったりしたら楽しいだろうなと憧れていましたが、実際にやってみると、私の原稿は完成しても相手が締め切りを守らなかったり、イベント参加費や本の印刷代を「お金が無い」と言われてとりあえず私が全額出したまま、結局半額のお金は支払われなかったということもありました。
個人的に、お金のことよりも締め切りを守らない奴はマジで絶滅すべしと思っているので(お金のほうが許せないという人もいると思いますが)本当にありえません。
同人者ってなんであんなに期限を守れない奴が多いの?日常生活どうしてんの?
私の相方運がとてつもなく悪かっただけかもしれませんが、どう考えてもひとりで活動したほうがストレスが無いと分かりました。売り子もきちんとした人に頼まないと、あとで売り上げの金額が合わなくてトラブルになったという話を、知人から聞いたことがあります。
かと思えば、あの夏の日のように、売り子を頼まれた人のほうが被害者っぽい場合もあります。
サークル主と違って大人しそうな人だったので、本当に気の毒だと思いました。
同人活動の楽しみのメインは作品を作ることであり、他人との交流はデメリットもあると覚悟しておいたほうが良いというのが、私の最終的な結論でした。もちろん交流して楽しかったことだってたくさんあるのですが、どうしても嫌だったことのほうをよく思い出してしまいます。
特に昔は、同人という趣味を共有できる相手を探すこと自体が難しかったので、同じオタクというだけで「仲良くなりたい!」と突っ走ってしまいましたが、オタクにもいろいろな人がいます。
それが分かってからは、友好的に近付いてきた人に対しても少し警戒してしまったりして、それはとても申し訳なかったと思っています。
コメント
いつも楽しみに拝見させていただいています。
「特に昔は、同人という趣味を共有できる相手を探すこと自体が難しかったので……」という一文にとてもうなずいてしまいました。
おたく気質な人は独りよがりなことも多かったりするので(だからこそ個性的なものが作れる利点もあるのですけれど)、今は仲間を見つける作業が簡単になって、使い捨てできるという下心が許されるくらい仲間の貴重性が減ったのかもしれませんね。
それで他人を尊重しなくなったり、ぶつかる事例が増えたというのは残念なことですが…
人口が増えるってこういうことなんだなあと考えさせられます。
>匿名さん
コメントありがとうございます。昔は日常生活で同じオタクの友達を見つけるのは難しくて、もし仲間を見つけることができたら、飛び上がるほど嬉しかった記憶があります。
今はネットで手軽に交流できて、最初は画期的だと喜んでいましたが、まさかこんなことになるなんて…というのが、今のSNSなどを見た感想です(´・ω・`)
独りよがりな部分は昔のオタクにもありましたが、昔はネットが無かったから見えにくかったんですよね。今はSNSで垂れ流し状態だから、慢性的に不快な気分を抱える人が増えているような気がします。楽しく活動しているように見えて、本当は何かを憎んでいて、それを不特定多数が見ているネット上で隠しもしないという状態です。
それ自体は人間だから仕方ないけど、そういう人と交流したいとは思えないし、作品への興味も失せます。まあ私も人のことは言えませんが。昔みたいに「同じジャンルやカップリングの人はみんな仲間!」という雰囲気はもう過去のもので、さらに言えば、あの時も、相手も本当に自分と同じ気持ちでいてくれたのかどうか、真実は分かりませんね。
いつも楽しくブログを読ませてもらってます。
公式からの供給がずっとなかったからなのかまたは
プライベートと同人活動のバランスがとれなくて
自然と同人活動から去ったと思われる
あるジャンルの神作家さんが20年ぶりの公式からの
供給の熱量のせいもあって、再録中心の同人誌を今年の
冬のコミケでのみの頒布をすると相方の作家さんのツイートで知りました。
その人はご本人がプロ作家になられたわけでもないし、
そのジャンルで本を出している人もたくさんいるのに
なぜかその人の同人誌だけがまんだらけなどの中古同人店では買取価格も
販売価格も万単位で、ほとんど値下がり扱いされない事に疑問を感じます。
原作者に似た絵を描けるから人気がすごくあるとまんだらけが
公式ツイッターやブログで言っているのですが、他にも数人は
原作者に似た絵を描ける人はいるから
このジャンルの同人誌をちゃんと調べてはどうですかと
言いたくなります。ツイッターで見かけた人の中には
その人の過去の中古同人誌を中古ショップで見つけるたびに
何万円も払ってまで手に入れている
痛い人がいて、再録とはいえ神作家の本をイベント会場で
手に入れられる事に狂喜乱舞していて
コミケ当日に、その痛い人が神作家相手におかしな言動をしそうな空気を
早くも出していて、その痛い人は5ちゃんでは
この人は神作家または自分好みの作家さんには
笑顔で擦り寄るくせにその人が一方的に気に入らないと感じた人だと
平気でエアリプ攻撃するから関わらないほうがいいと言われていました。
でも、コミケ当日はスペースには売り子さんのみで
神作家本人はスペースにはいない可能性も高いとも思いました。
今回の再録のみの同人誌でも、今もそのジャンルではその人がずっと神作家扱いなので
当日はそこのサークルは、すごい行列ができるだろうとフォロワー達が話していました。
ヒロコさんが積極的に同人活動されていた時期とかぶっていて、ジャンルを変えつつ
同人活動をしていたみたいですが、いつの間にか活動を休止していました。
相方さんとご本人を入れて多分2~3人でジャンルを変えつつ活動をしていた
印象みたいですが、一度は同人活動自体を休止していたのに、
また同じジャンルで同じ相方さんや顔見知りの作家さんと活動を再開できたのは
お金や原稿の事に関してだけはルーズにしないからだろうなと
思ってます。どのジャンルでもこの事だけはちゃんとしていないと
せっかく知り合えたご縁もいずれ切らざるを得なくなりますね。
いつもブログを楽しく読ませていただいています。以前、一度コメントさせていただいたのですが、こちらの記事を読んでヒロコさんの意見に本当にそのとおりだなあ、としみじみしてしまいました。
最近、稀にみる供給がジャンルにあったのですがきゃあきゃあやりとりするツイの元相互さんと新規さんの交流を端から眺めているうちに、アカウントを削除した自分は寂しさと同時に「その時間で何か描いたほうが良いな」とふと冷静になりました。
拙いなりにも作品を…と孤独と晴れ晴れした寂しさを感じつつも、そっと仕上げました
これが本来のかたちなのかもな、と少しだけ踏ん切りがつきました。
ありがとうございます。
>りすさん
こんばんは。同人誌の価値は、プロ作家かどうかとか他にも同じようなものを描く人がいるかどうかは関係なく、買い手がその本をどれだけ欲しがるかで決まります。書店の判断がすべてではありませんが、万単位の値段でも実際に売れてるのなら良いと思いますよ。
あと、本を買ってるだけの人は別に痛くないと思うのですが、5ちゃんで色々言われているということは痛い雰囲気はある人なのでしょうね。それでも、私だって好きな人には良い顔をして嫌いな人には攻撃したこともありますので、人間としては普通だと思います。
お金や原稿の事に関しては、私は本当に被害にばかり遭ってきたので、これがきちんとできない人はどんなに素晴らしい作品を描いていても嫌悪感しかありません。
一度でいいから、きちんとしている相方さんと一緒に活動したかったです。
ところで、りすさんのお話は私にはどのジャンルの話なのかは分かりませんが、あまり詳しく語ると神作家さんやりすさんのことを特定される可能性がありますが大丈夫でしょうか?
私が言うのもなんですが、他人のことばかり気にしてないで自分が楽しくやることを優先したほうが有意義だと思います。
>匿名kさん
こんばんは。どういう目的で同人をやるかは人それぞれなので、交流を重視している人はそちらに力を入れると思います。私はどちらかと言うと「こういう作品を描きたい」とか「自分の解釈を見てもらいたい」という気持ちのほうが強かったので、交流をやめたあとも活動を続けることができました。交流重視だったら、交流に絶望した時点でやめていたでしょうね。
ただ、ツイッターが無かった頃も嫌なことはありましたが、交流への否定的な気持ちが異常に強くなってしまったのはツイッターのせいだと思います。ツイッターさえ無ければここまでは思わなかっただろうなと、まだ悔しさが消えません。私もまだまだ完全に踏ん切りがついていないのだと思います。少しずつでも前を向けるようになっていきたいものです。